千林商店街

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国道1号側の入口 (2014年8月)
千林駅側の入口 (2008年11月)
千林商店街の風景(2007年5月撮影)

千林商店街(せんばやししょうてんがい)とは、大阪市旭区にある商店街天神橋筋商店街や、駒川商店街と共に大阪を代表する商店街の一つ。

概要

大阪でも1、2を争うほどの活気のある商店街である。かつては隣接していたダイエーニチイ(両社とも、現在のイオン傘下、この商店街にイオン関連の商業施設は現存しない)、長崎屋イズミヤ、個人商店との価格競争の激しさから「日本一安い商店街」とも称されていた。 千林商店街には、これにつながる幾重の商店街があるため、地元では「本通り」と呼び区別されている。[要出典] 野坂昭如の「エロ事師たち」の舞台のひとつ。

商店街では全国的に見ても珍しい、商店街オリジナルのテーマソング「千林商店街テーマソング(唄:デューク・エイセス)」や商店街オリジナルのキャラクターなどをつくって他の商店街とは違った独自の手法で知名度アップに努めている。歌詞の中に「いち・じゅう・ひゃく・せん・せんばやし」とあり、アーケード中に響き渡る音量でテーマソングが流れていることがある。

なお、MBSの番組「ちちんぷいぷい」では、千林商店街のおばちゃんの意見を、日本の標本木としている。

小史

明治末の京阪電気鉄道の開通に伴う森小路駅の開業により商店街として成立。当時は千林公設市場を中心として衣類、布、生鮮食料品、乾物屋、荒物屋、布団屋、演芸場などが軒を連ねていた。

住友銀行三和銀行の支店(後者は創業時の名称の森小路店として営業)は大正期より、時期は異なるが開業され、昭和初期の京阪本線の軌道変更後も同位置にて営業を続け、長年に渡り千林のランドマークとしての役割を果たしている。尚、戦前には髙島屋の『十銭ストア』(現在の100円ショップの起源の一つとされる均一販売店の形態)も同商店街に存在していた。

大戦後に、従来の商店街付近に闇市が併設する形で発生したが、数年で従来の姿に復興する。またこの頃に新天地を求め、他方で商売をしていた商人らが移住し新たに商店を開業した経緯もある。

商店街内の交通事情

戦後3代目となる全覆型アーケードのかかる商店街は、隣接する今市商店街を含めて午前10時から午後11時までは緊急車輌を除き歩行者専用道路となる。しかし自転車に乗って通行する人も多く、自転車を押すように掲示がされている(つまり、かなりの人が自転車に乗っている。人と自転車の接触事故も多い千林商店街・今市商店街の周辺部ではこの時間帯以外、ほぼ自動車の乗り入れと通行が不可能となる。周辺の千林町内は、この交通規制のため分断され、また一方通行等の設定により商店街の北側から南側へ移動するためには自動車で10分以上迂回しないといけないエリアができている。逆に南側から北側へは町内を通行できず、2キロメートル以上も迂回走行するか、隣市の守口市を経由しないと移動できない。

また、商店街自体が大阪府道161号深野南寺方大阪線・通称「野崎街道」の一部である。 一見すると東西に広がる平坦な商店街に見えるが、途中には京阪電鉄の旧線跡や京街道を横断しているため、また近世までの幾多の淀川流路の変遷に伴う堤防痕などのために、微妙な傾斜がある。

長屋が残る店舗

商店街に連なる店舗構造は道に面した側が長屋形式で建てられているのが特徴である。 地域的に第二次世界大戦の空襲を免れていたので昭和戦前の木造長屋の商店形状を、現代風に改造した店舗が並ぶ。 商店街から路地に入るところには、その遺構あるいは戦前構造の造りを見出すことができるが、老朽化ならびに所有者移転に伴う建て替えで戦前型は急速に減少している。いずれ淘汰されていくものではあるが、学術的な調査が待たれる。

近年の地域防犯政策により、商店街の随所に街頭監視カメラが設置されている。

ダイエー1号店の地

ダイエー千林駅前店
daiei Senbayashiekimae
店舗概要
開業日 1957年9月23日(主婦の店ダイエー薬局開業)
閉業日 1974年9月29日
商業施設面積 97 m²
前身 主婦の店・ダイエー薬局
最寄駅 京阪 千林駅
大阪市営地下鉄 千林大宮駅
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トポス千林店
Topos Senbayashi
店舗概要
開業日 1961年7月10日(ダイエー千林店開業)

1984年5月2日(トポスに転換)
閉業日 2005年10月31日
中核店舗 トポス千林店
前身 千林松竹

ダイエー千林店
後身 123千林店
最寄駅 京阪 千林駅
OsakaMetro 千林大宮駅
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日本で最初のスーパーマーケットと言われるダイエーは、「主婦の店・ダイエー薬局」として1957年に商店街の東端、京阪電車千林駅の前で開店した(のちダイエー千林駅前店。店番号は0011。1974年閉鎖。現在はオーエスドラッグの店舗となっている。)。今日でいうドラッグストアの業態を採っており、特に2軒隣りに開店した「ヒグチ薬局千林店」との薬品安売り合戦はすさまじく、社長・中内㓛が泊り込みで直々に陣頭指揮を執っていた。令和の現在も、半径300m四方に幾軒もの薬局が連なり往時の勢いを今に伝えている。

その後、1961年にはダイエー千林店が開店(店番号は0015。) [1] 、のちにトポス千林店となっていたが、中内の逝去直後の2005年10月31日で建物の老朽化と営業不振のために閉店した。なお、同店は千林商店街ではなく隣接する別の商店街(千三商店街。アーケードは今市商店街を介して千林商店街と繋がっている)に面していた。2009年、同建造物は解体撤去され、跡地には2010年1月、延田グループのパチンコ店「123千林店」がグランドオープンした。

その他

千林商店街を中心にしていくつかの商店街が連なっている。

  • 千林商店街→今市商店街
  • 千林商店街→千三商店街
  • 千林商店街→千林駅前あじな商店街
  • 千林商店街→千林大宮商店街→旭通り商店街
  • 千林商店街→森小路京かい道商店街→森小路商店街→新森商店街
  • 千林商店街→千林栄通商店街

アクセス

参考文献・注釈

  • 石村眞一 『元気のある商店街の形成―千林商店街とその周辺』 東方出版 ISBN 4-88591-877-4
  1. ^ 第1号店の千林駅前店とは別に、映画館『千林松竹』の建物を譲り受けて開店した。なお、千林駅前店が開店した当時、ダイエーがこの映画館を借り切って、映画に客を招待したこともある。

関連項目

外部リンク