ロマ・プリータ地震

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ロマ・プリータ地震で倒壊したオークランド市の高速道路880号線
USGSによる震度地図(改正メルカリ震度階級MM31使用)

ロマ・プリータ地震(ロマ・プリータじしん、Loma Prieta earthquake)は、1989年10月17日17時4分にアメリカ合衆国カリフォルニア州北部で発生した地震。地震の名前はサンノゼ市の南にあるロマ・プリエタ山[1]付近が震源地だったことによる。サンフランシスコ周辺での被害が大きかったため、日本ではサンフランシスコ地震とも呼ばれるが、この名前は1906年の地震を指すことが多い。

概要

アメリカ合衆国カリフォルニア州中部のサンタクルーズ山地にあるロマ・プリエタ山(en)を震源とし、モントレー湾一帯のみならず、ずっと北のサンフランシスコ、オークランド周辺をも襲い、大災害を発生させた。マグニチュード6.9。サンアンドレアス断層によって引き起こされたとみられ、1906年サンフランシスコ地震以来の大地震となった。この地震による死者は63人にのぼり、ビルディングなどの建造物の損傷の他に、高速道路などが倒壊する被害が発生した。

サンフランシスコのキャンドルスティック・パークではワールドシリーズの第3戦が行われる予定だったが、試合の開始前に地震の強い揺れが襲ったため中止となった。この模様はABCで全米にテレビ中継されていたことに加え、日本でもNHKの衛星放送で生中継された。

基礎データ

震央は、サンフランシスコの南約90㎞、サンタクルーズの北東約15㎞のサンタクルーズ山地である。また現地時間の18日にはマグニチュード5.2、19日にはマグニチュード5.0の余震も発生した。

出典:[3]

被害状況

ベイブリッジの被害
マリーナビーチの建物被害

ロマ・プリータ地震による被害状況は以下の通りである。

  • 死者:62名(地震による直接的犠牲者のみ)
  • 負傷者:3,208名
  • 罹災者数:55,000名
  • 火災発生件数:約50件
  • 被害総額:70 - 80億ドル
出典:[4]

サンフランシスコ市内では、海岸部に位置するマリーナ・ビーチで液状化現象が発生し、木造建物などの倒壊が相次ぎ、火災も発生した。サンフランシスコの対岸にあるオークランド郊外を走る高速道路880号では、揺れに耐えきれず高架橋が倒壊した。この高速道路は1950年代の古い設計で、ダブルデッキ式であったため、上層の高架が崩壊して下層を走行していた自動車を押し潰し、上層を走行していた自動車も高架道路から投げ出されるなどした。下敷きとなった高速道路では41人の死者と多くの負傷者を出し、負傷者の中には瀕死の重傷を負った人や押し潰された自動車の中から3日ぶりに救出された人(1か月後に死亡)もいた。この被害は全世界の新聞・ニュースで大きく取り上げられた。サンフランシスコとオークランドを結ぶサンフランシスコ・オークランド・ベイブリッジも地震により橋の一部が崩落したが、わずか1か月後の11月18日に復旧した。長距離旅客鉄道を運行するアムトラックはオークランド・ダウンタウンの駅が被害を受けたため、オークランド市内への鉄道での乗り入れを一時中止した。

サンタクルーズの被害

震源に近いサンタクルーズ郡では6000戸ほどの建物が倒壊した。サンタクルーズ市のダウンタウンでは古いレンガ造りの建物が倒壊し、3人の死者を出した[5]

脚注

参考文献

外部リンク