ルートヴィヒ・リース

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。2001:268:c0a0:d78c:d56e:95f5:2220:d41 (会話) による 2020年11月7日 (土) 13:11個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

ルートヴィヒ・リース
人物情報
生誕 (1861-12-01) 1861年12月1日
西プロイセン ドイチュ・クローネ(現ポーランドの旗 ポーランド 西ポモージェ県ヴァウチ英語版
死没 1928年12月27日(1928-12-27)(67歳)
出身校 ベルリン大学
学問
研究分野 歴史学
テンプレートを表示

ルートヴィヒ・リース(Ludwig Riess, 1861年12月1日 - 1928年12月27日)は、ドイツユダヤ系歴史学者お雇い外国人

経歴

プロイセン王国西プロイセンのドイチュ・クローネ(現在のポーランド西ポモージェ県ヴァウチ英語版)生まれ。

ベルリン大学レオポルト・フォン・ランケのもとで、厳密な史料批判を援用する科学的歴史学の方法を学ぶ。 1887年、26歳の時に東京帝国大学史学科講師として来日。科学的歴史学の方法を教えるとともに、1889年史学会創設を指導した。1902年まで日本に滞在し、慶應義塾大学陸軍大学でも教えた。妻は来日時に結婚した大塚ふくで、一男四女をもうけた。

帰国後はベルリン大学講師、次いで助教授となり、新聞に日本事情を伝える連載をもった。帰国の際には一人息子の応登(オットー)だけを伴った。1928年、ベルリンにおいて享年67歳で死去。

経済学者阿部秀助はリースの娘を妻とし、リース『欧州近世史』を日本語訳している。

著書

  • 『日本雑記』
  • 『近代日本発展史』
  • 『欧州近世史』
  • 『世界歴史』

日本語訳

参考文献

  • 永原慶二『20世紀日本の歴史学』吉川弘文館、2003年。
  • 台湾島史ルードウィヒ・リース他 (冨山房, 1898)

関連項目