ライツェン・エヒベルトゥス・ヤン・ブラウワー
L. E. J. ブラウワー Luitzen Egbertus Jan Brouwer | |
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生誕 |
1881年2月27日 Overschie |
死没 |
1966年12月2日(85歳没) Blaricum |
国籍 | オランダ |
研究分野 | 数学 |
研究機関 | アムステルダム大学 |
出身校 | アムステルダム大学 |
主な業績 |
不動点定理 直観主義数学 |
影響を 受けた人物 |
カント ショーペンハウアー |
影響を 与えた人物 | ワイル |
主な受賞歴 | 王立協会 |
プロジェクト:人物伝 |
ライツェン・エヒベルトゥス・ヤン・ブラウワー(Luitzen Egbertus Jan Brouwer、1881年2月27日 - 1966年12月2日)はオランダの数学者。ブラウエル、ブローウェルなどとも表記される。トポロジーにおいて不動点定理をはじめとする多大な業績を残し、また数学基礎論においては直観主義数学の創始者として知られる。
生涯
オフェルスヒー(現在はロッテルダムの一部)のフリジア系家庭に教師の子として生まれ、通常13歳で入学する高等市民学校にわずか9歳(当時のオランダ最年少記録)で入学するなど、早くから神童として知られた。
1897年、アムステルダム大学に入学。ディーデリク・ヨハンネス・コルテウェヒ(KdV方程式で有名)、ヘリト・マンナウリーらに数学を学ぶ。このころより哲学・神秘主義思想に興味を持ち、これが後の直観主義数学に影響を与えることになる。
1907年に提出された博士論文ではヒルベルト第5問題の部分的解決を与えたが、当初この論文には、彼独特の哲学を開陳した部分が多く含まれていた。しかし最終的にはコルテウェヒの指示によって、この哲学的部分は大幅に削られることとなった。