エミール・クーパー

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エミール・アリベルトヴィチ・クーパーロシア語: Эмиль Альбертович КуперEmil Albertovich Cooper,[1] 1877年12月13日ユリウス暦12月1日) - 1960年11月16日)は、ロシア出身のイギリス指揮者ウクライナヘルソン生まれ。

オデッサ音楽院でヴァイオリンと作曲を学び、1898年までヴァイオリニストとして活躍した。一方、アルトゥール・ニキシュに指揮法を師事し、1899年からフョードル・シャリアピンやレオニード・ソビノフらの伴奏指揮者となり、オペラ指揮者としての腕を磨いた。1909年には、リムスキー=コルサコフの歌劇《金鶏》の初演を行っている。また、1912年にはグリエール交響曲第3番「イリヤ・ムーロメッツ」の初演も手掛けている。1920年から1923年までペトログラード国立フィルハーモニー交響楽団の音楽監督を務める。

1924年にヨーロッパに亡命し、フリーランスで活躍した。ニューヨークで死去。

脚注

  1. ^ [1]