堀口功
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堀口 功(ほりぐち いさお、1888年8月18日[1] - 1964年2月17日[1])は、日本の政治家。岡山県玉島市(現・倉敷市)長。
来歴
岡山県浅口郡阿賀崎村(のち玉島町→玉島市、現・倉敷市)出身[1]。旧制岡山中学校(現・岡山県立朝日高等学校)、金川中学校(後、岡山県立金川高等学校、現在廃校)を経て、1918年、早稲田大学政治経済学科卒[1]。同年、高等文官試験行政科に合格する[1][2]。福岡県属[2]、同官房主事、地方課長[1]、兵庫県地方、議事各課長[1]、沖縄、広島、高知、千葉各県の学務部長[1]、宮城、鹿児島各県の経済部長[1]、福井県の総務部長を歴任し、1939年に退官した[1]。退官後は神戸製鋼所総務部長などを経て[1]、1951年、玉島町長に就任。翌年1月、玉島町の市制施行に伴い、玉島市長となった[1]。市長を2期務め、1959年に退任した[3]。1964年死去。死去後従四位勲四等に叙せられた[3]。
脚注
参考文献
- 『岡山県歴史人物事典』山陽新聞社、1994年。
- 秦郁彦編『日本官僚制総合事典1868-2000』第2版、東京大学出版会、2007年。