今城 (美濃国)
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今城 (岐阜県) | |
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登城口の前にある石碑 | |
別名 | 今村城 |
城郭構造 | 山城 |
築城主 | 小池刑部藤原之家継 |
築城年 | 天文年間(1532年-1555年) |
主な改修者 | 小池由紀夫 |
主な城主 | 小池刑部藤原之家継 |
廃城年 | 天正10年(1582年)以降 |
遺構 | 曲輪、土塁、堀切、碑 |
指定文化財 | 未指定[1] |
再建造物 | 公園 |
位置 | 北緯35度22分49.3秒 東経137度03分04.0秒 / 北緯35.380361度 東経137.051111度座標: 北緯35度22分49.3秒 東経137度03分04.0秒 / 北緯35.380361度 東経137.051111度 |
地図 |
今城(いまじょう)は現在の岐阜県可児市に存在した日本の城(山城)である。
概要
舌状に北へ突き出した丘陵支脈の先端部分にある標高約160メートル、比高差は約20メートルの愛宕山一帯に築かれた。城主の小池家継は金山城主である森可成に仕えていた。
歴史
室町時代
天文年間(1532年-1555年)にこの地域の豪族であった小池家継が築城した。
戦国時代
天正10年(1582年)に織田信長が本能寺の変が起きた後、いままで森氏に従っていた東濃諸国の武将は反抗するようになった。森長可は反抗する武将を武力で鎮圧したが、その際に家継もその対象となった。その後、森長可の立ち退き命令により廃城となった。記録には残っていないが廃城後に改修した痕跡があることから、天正12年(1584年)小牧・長久手の戦いの際に森氏が今城を改修したとみられている。
昭和時代
昭和35年(1960年)頃まで山頂部には愛宕神社が鎮座していたが廃社となっていた。
現代
現在は曲輪、土塁、堀切の遺構は整備されている。豪族の城郭なので規模も小さく、山頂部に周囲を土塁に囲まれた本丸があり、虎口が南北に2個所開かれている。
登城口から登る途中に椎茸が栽培されているので基本的にこの道は私有地であり立入禁止になっている。そのため、城に行く際は右脇の農道を通るルートか裏の入口から行くルートしかない。山頂部は一辺が約30メートル位の平地になっている。三の丸に城主である小池家継の墓の小さな五輪塔が数基建っている。二の丸にはかつて小池家継が居住した屋敷が存在したといわれている。
ギャラリー
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本丸跡地
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二の丸跡地
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三の丸跡地
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堀切
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土塁
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虎口
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井戸跡地
現地情報
所在地
交通アクセス
鉄道
路線バス
自動車道
脚注
- ^ 「可児市の指定文化財」可児市公式HP
参考文献
関連項目
外部リンク
- 美濃今城 お城の旅日記
- 美濃今城 ちえぞー!城行こまい - ウェイバックマシン(2019年1月1日アーカイブ分)
- 今城 (kaniyamajiro) - Facebook