コンテンツにスキップ

野崎正剛

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。2402:6b00:98e6:7000:5944:7742:6083:75fc (会話) による 2023年3月23日 (木) 23:01個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (略歴)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

野崎 正剛(のざき せいごう、1931年5月3日 - 1989年9月3日)は、大蔵官僚世界銀行東京事務所長、大蔵省大臣官房審議官、大蔵省国際金融局次長、大蔵省印刷局長などを歴任。

略歴

福島県福島市出身。福島県立福島高等学校を経て、1956年一橋大学商学部卒業、大蔵省入省[1][2]。省内屈指の語学力を持ち国際畑を歩み[3]、1973年大蔵省大臣官房財務官室長[4]。1974年横浜税関総務部[5]通関士試験試験委員[6]。1975年大蔵省関税局国際第二課長[7]

1976年国際連合貿易開発会議日本政府代表代理[8]。同年近畿財務局総務部[9]。1977年から大蔵省関税局国際第一課長を務め[10]東京ラウンドの取りまとめにあたった[3]。1979年関税及び貿易に関する一般協定締約国団会議日本政府代表代理[11]

1980年世界銀行東京事務所長[12]。1982年大蔵省大臣官房審議官(援助問題担当)[3][13]国際農業開発基金総務会日本政府代表代理[14]投資紛争解決国際センター理事会年次会合日本政府代表代理[15]

1984年大蔵省国際金融局次長[16]。1985年大蔵省印刷局[17]。1986年に退官後[18]、野崎国際事務所を設立して、住友生命顧問などに就いていたが、1989年に急性心不全のため死去した[19][20]。同年従四位勲三等瑞宝章[21]

著書

  • 『日本と世界銀行』世界銀行東京事務所 1981年

脚注

  1. ^ 「官僚新人国記(28)福島県 東京弁で話す首都圏人 」時評 28(1)(281) 1986-01
  2. ^ 一橋基督教青年会 〜130 年史〜一橋基督教青年会
  3. ^ a b c 日経公社債情報 6月7日(291)
  4. ^ 官報昭和48年本紙第14020号 14頁
  5. ^ 官報昭和49年本紙第14269号 10頁
  6. ^ 官報昭和49年本紙第14275号 8頁
  7. ^ 官報昭和50年本紙第14474号 5頁
  8. ^ 官報昭和51年本紙第14791号 12頁
  9. ^ 官報昭和51年本紙第14849号 13頁
  10. ^ 官報昭和52年本紙第15139号 7頁
  11. ^ 官報昭和54年本紙第15857号 15頁
  12. ^ 世界銀行と日本人職員の 60 年1818 Society 日本支部
  13. ^ 官報昭和57年本紙第16600号 14頁
  14. ^ 官報昭和57年本紙第16623号 13頁
  15. ^ 官報昭和57年本紙第16677号 16頁
  16. ^ 官報昭和59年本紙第17220号 6頁
  17. ^ 官報昭和60年本紙第17515号 10頁
  18. ^ 官報昭和61年本紙第17797号 11頁
  19. ^ 金融財政事情 40(21)(1894);1989・6・5
  20. ^ インシュアランス. Insurance 9月号第2集(3382) 生保版
  21. ^ 官報平成1年本紙第206号 12頁
先代
佐藤光夫
大蔵省国際金融局次長
1984年 - 1985年
次代
橋本貞夫
先代
岡上泉
大蔵省印刷局長
1985年 - 1986年
次代
橋本貞夫