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光州月桂洞古墳群

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光州月桂洞古墳群
(文化財指定名称:月溪洞長鼓墳)

古墳群全景(手前が2号墳、奥が1号墳)
各種表記
ハングル 월계동장고분
漢字 月溪洞長鼓墳
発音 ウォルゲドンジャンゴブン
ローマ字 Wolgye-dong Janggobun
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光州月桂洞 古墳群の位置(大韓民国内)
光州月桂洞 古墳群
光州月桂洞
古墳群
光州月桂洞古墳群の位置
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光州月桂洞古墳群(クァンジュ げっけいどうこふんぐん/ウォルゲドンゴブングン、光州月溪洞古墳群)は、大韓民国(韓国)光州広域市光山区月渓洞(月桂洞)にある古墳群光州広域市記念物第20号に指定されている(指定名称は「월계동장고분(月溪洞長鼓墳)」)[1]

古墳群は長鼓墳(前方後円形墳)2基で構成される。朝鮮半島南部には長鼓墳10数基が分布し、日本に多く存在する前方後円墳との関連が指摘されるが、本古墳群はそのうちの2つになる。

概要

朝鮮半島南部、光州広域市市街地北部の丘陵先端部において、2基の前方後円形墳が隣接して築かれている[2]。朝鮮半島南部の栄山江周辺には10数基の前方後円形墳が分布するが、ほとんどは他の前方後円形墳とは距離を置いて単独で存在する。そのような中、複数の前方後円形墳が並んで築造されたのはこの古墳群が唯一の例になる[2]。これらは1993年1995年の2度、全南大学校による発掘調査がなされている[3]

古墳2基はいずれも前方部を西方向に向けており、墳丘規模は1号墳の方がやや大きいが、墳丘外形・石室構造・築造時期に関しては非常に似通うものになる。1号墳・2号墳とも、外部施設に関しては外形(前方後円形)・盾形周濠や埴輪状土製品・木製品の存在から倭(日本)系要素が強いが、内部施設である玄室内の棺・副葬品に関しては百済系要素が強い。一帯に在地系古墳の系譜はなく、この月桂洞古墳群はこの地域で突如出現する古墳に位置づけられる[4]

1号墳・2号墳の古墳域は、1994年2月18日に合わせて光州広域市記念物第20号に指定された[1]。出土品は国立光州博物館に展示されている。

一覧

1号墳

月桂洞1号墳

墳丘(左が前方部、右奥が後円部)
別名 月溪洞1号墳
所在地 大韓民国の旗 韓国 光州広域市光山区月渓洞748-2番地
(광주광역시 광산구 월계동 748-2번지)
位置 北緯35度12分49.80秒 東経126度50分30.59秒 / 北緯35.2138333度 東経126.8418306度 / 35.2138333; 126.8418306 (光州月桂洞1号墳)座標: 北緯35度12分49.80秒 東経126度50分30.59秒 / 北緯35.2138333度 東経126.8418306度 / 35.2138333; 126.8418306 (光州月桂洞1号墳)
形状 長鼓墳(前方後円形墳)
規模 墳丘長36.6m(推定復元45.3m)
高さ4.9m(推定復元6.1m)
埋葬施設 両袖式横穴式石室
(内部に百済系装飾木棺か)
出土品 金製耳環・鉄鏃・土器片(百済系文物)、円筒埴輪状土製品・朝顔形埴輪状土製品・木製品
築造時期 6世紀前半
史跡 光州広域市記念物第20号「월계동장고분(月溪洞長鼓墳)」に包含
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月桂洞1号墳(月溪洞1号墳)は、2号墳の南西約50メートルに位置する古墳。

概要

墳形は前方後円形で、前方部を西北西方向に向ける。前方部には扇状の広がりが認められるが、後円部は大きく破壊を受けている[2]。墳丘外表には葺石・段築・造出などの外部施設は認められていない[2]。墳丘周囲には盾形の周濠(深さ約1.5メートル)が巡らされ、周濠内からは円筒埴輪状土製品・朝顔形埴輪状土製品に加え、多量の木製品(笠形木製品・石見型盾形木製品)が検出されている[2]。特に土製品の製作には百済の陶質土器との関連が指摘される[2]

埋葬施設は両袖式横穴式石室で、後円部南寄りに構築されるが、盗掘に伴う大きな破壊を受けている[2]。石室は羨道を南西側くびれ部方向とし、石室の構造には九州系横穴式石室の要素が指摘される[5]。石室規模としては玄室が長さ4.5メートル・幅2.7-2.8メートル・高さ2.4メートル以上、羨道が長さ2.8メートル・幅1.4メートル・高さ1.6メートルを測る[2]。石室は盗掘を受けているものの、床面から金製耳環・鉄鏃・土器片などの百済系文物が検出されている[2]。特に銀装釘や環座金具が出土したことから、百済系装飾木棺の使用が推測される[5]。また石室内の副葬品のうちには、日本列島から移入された須恵器(MT15型式の提瓶)がある[6]

築造時期は三国時代6世紀前半頃と推定される[2]

墳丘

横から望む墳形(右が前方部)

1号墳の規模は次の通り(括弧内は発掘調査で判明した推定復元値)[2]

  • 墳丘長:36.6メートル(推定復元45.3メートル)
  • 後円部
    • 直径:16メートル(推定復元25.8メートル)
    • 高さ:4.8メートル(推定復元6.1メートル)
  • くびれ部
    • 幅:10.45メートル(推定復元14.5メートル)
    • 高さ:3.3メートル(推定復元3.8メートル)
  • 前方部
    • 幅:27メートル(推定復元31.4メートル)
    • 高さ4.9メートル(推定復元5.2メートル)

墳丘の外形に関しては、市ノ山古墳大阪府藤井寺市)や桂川天神山古墳(福岡県嘉穂郡桂川町)との類似が指摘される[7]

2号墳

月桂洞2号墳

墳丘(左手前が前方部、右奥が後円部)
別名 月溪洞2号墳
所在地 大韓民国の旗 韓国 光州広域市光山区月渓洞748-2番地
(광주광역시 광산구 월계동 748-2번지)
位置 北緯35度12分51.41秒 東経126度50分32.39秒 / 北緯35.2142806度 東経126.8423306度 / 35.2142806; 126.8423306 (光州月桂洞2号墳)
形状 長鼓墳(前方後円形墳)
規模 墳丘長28m(推定復元34.5m)
高さ2.9m(推定復元3.5m)
埋葬施設 両袖式横穴式石室
(内部に百済系装飾木棺か)
出土品 鉄製刀子片・土器片・ガラス玉(百済系文物)
築造時期 6世紀前半
史跡 光州広域市記念物第20号「월계동장고분(月溪洞長鼓墳)」に包含
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月桂洞2号墳(月溪洞2号墳)は、1号墳の北東約50メートルに位置する古墳。

概要

墳形は前方後円形で、前方部を西方向に向ける。1号墳同様、前方部には扇状の広がりが認められるほか、墳丘外表に葺石・段築・造出などはなく、墳丘周囲には盾形の周濠(深さ約1メートル)が巡らされる[2]

埋葬施設は両袖式横穴式石室で、後円部北寄りに構築され、北西側くびれ部方向に開口する[2](現在は非開口)。石室は盗掘に遭い破壊を受けているが、1号墳同様に石室の構造には九州系横穴式石室の要素が指摘される[5]。石室規模としては玄室が長さ3.8メートル・幅2.4-2.5メートル、羨道が長さ1.2メートル・幅1.5メートルを測る[2]。石室床面からは鉄製刀子片・土器片・ガラス玉などの百済系文物が検出されている[2]。また2号墳においても、百済系装飾木棺の使用が推測される[5]

築造時期は、1号墳同様に三国時代の6世紀前半頃と推定される[2]

墳丘

横から望む墳形(左が前方部)

2号墳の規模は次の通り(括弧内は発掘調査で判明した推定復元値)[2]

  • 墳丘長:28メートル(推定復元34.5メートル)
  • 後円部
    • 直径:13.9メートル(推定復元20.5メートル)
    • 高さ:2.9メートル(推定復元3.5メートル)
  • くびれ部
    • 幅:7.9メートル(推定復元14.5メートル)
    • 高さ:0.7メートル(推定復元1.5メートル)
  • 前方部
    • 幅:11.9メートル(推定復元22メートル)
    • 高さ2.0メートル(推定復元3メートル)

墳丘の外形に関しては、岡ミサンザイ古墳大阪府藤井寺市)や上ん山古墳(福岡県北九州市)との類似が指摘される[7]

文化財

光州広域市記念物

現地情報

所在地

交通アクセス

  • バス:光州広域市の市内バスで「첨단2동주민센터(尖端2洞住民センター)」バス停下車 (下車後徒歩すぐ)
  • バス:KTX停車の光州松汀駅からは市内バス33系統で約45分乗車「농산물품질관리원(農産物品質管理院)」バス停下車南西に徒歩10分

脚注

  1. ^ a b c 월계동장고분(月溪洞長鼓墳)(大韓民国文化財庁)(朝鮮語)
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 早稲田大 1996, pp. 38–40.
  3. ^ 月渓洞長鼓墳(光州広域市「光州 U-TOURPIA」)。
  4. ^ 朴天秀 2007, p. 93.
  5. ^ a b c d 高田貫太 2012, p. 89.
  6. ^ 高田貫太・中久保辰夫 「朝鮮半島」『季刊考古学 第142号 -特集 須恵器の変容と各地の古墳文化-』 雄山閣、2018年、pp. 65-70。
  7. ^ a b 早稲田大 1996, pp. 70–71.

参考文献

  • 事典類
    • 吉井秀夫「長鼓村1・2号墳」『東アジア考古学辞典』東京堂出版、2007年。ISBN 978-4490107128 
  • その他
    • 岡内三真 編『韓国の前方後円形墳 -早稲田大学韓国考古学学術調査研修報告-』雄山閣出版、1996年。ISBN 4639013671 
    • 林永珍「月桂洞」『文化遺産の世界 21号 -特集 前方後円墳にたどる日韓交流-』国際航業株式会社文化事業部、2006年、6-7頁。 
    • 朴天秀『加耶と倭 -韓半島と日本列島の考古学-』講談社、2007年。ISBN 978-4062583985 
    • 高田貫太「栄山江流域における前方後円墳築造の歴史的背景」『古墳時代の考古学 7 内外の交流と時代の潮流』同成社、2012年。ISBN 978-4886216120 

関連項目

外部リンク