蒔田定矩
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時代 | 江戸時代前期 - 中期 |
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生誕 | 延宝5年(1677年) |
死没 | 宝永7年4月17日(1710年5月4日) |
別名 | 助三郎、権佐(通称) |
戒名 | 宗悟 |
官位 | 従五位下備中守 |
幕府 | 江戸幕府 寄合旗本 |
主君 | 徳川綱吉、家宣 |
氏族 | 戸田氏、蒔田氏 |
父母 | 戸田忠辰、蒔田定行 |
兄弟 | 戸田忠位、定矩、有田光敦 |
子 | 蒔田広尊室、定英、定慶、蒔田成安室 |
蒔田 定矩(まいた さだのり)は、備中国浅尾の寄合旗本。旗本・戸田忠辰(蒔田定正の三男)の次男。
生涯
貞享2年(1685年)、従兄の定次が伯父の浅尾領主定行に先立って没したため、定行の婿養子となる。養父没後の元禄3年(1690年)8月6日に家督を継ぐ。10月に将軍徳川綱吉に拝謁し、元禄11年(1698年)6月に上野国勢多、新田、山田郡内の領地を備中国賀陽郡に移された。同年10月2日に小姓となり、翌元禄12年(1699年)5月21日中奥小姓となる。宝永7年(1710年)に34歳で死去。家督は長男の定英が継いだ。