蒔田定矩

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
 
蒔田定矩
時代 江戸時代前期 - 中期
生誕 延宝5年(1677年
死没 宝永7年4月17日1710年5月4日
別名 助三郎、権佐(通称)
戒名 宗悟
官位 従五位下、備中
幕府 江戸幕府
氏族 戸田氏蒔田氏
父母 父:戸田忠辰、養父:蒔田定行
兄弟 戸田忠位定矩有田光敦
娘(蒔田広尊室)、定英定慶
養子:養女蒔田定行の娘、蒔田成安室)
テンプレートを表示

蒔田 定矩(まいた さだのり)は、備中国浅尾寄合旗本。旗本・戸田忠辰蒔田定正の三男)の次男。

生涯[編集]

貞享2年(1685年)、従兄の定次が伯父の浅尾領主定行に先立って没したため、定行の婿養子となる。養父没後の元禄3年(1690年)8月6日に家督を継ぐ。10月に将軍徳川綱吉に拝謁し、元禄11年(1698年)6月に上野国勢多新田山田郡内の領地を備中国賀陽郡に移された。同年10月2日に小姓となり、翌元禄12年(1699年)5月21日中奥小姓となる。宝永7年(1710年)に34歳で死去。家督は長男の定英が継いだ。