板谷宮吉 (初代)
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初代 板谷 宮吉(いたや みやきち、1857年2月4日(安政4年1月10日[1][注 1]) - 1924年(大正13年[2])5月13日[3])は、日本の実業家、政治家。北海道の海運王と呼ばれた[2]。
経歴
[編集]越後国刈羽郡宮川村(のち新潟県刈羽郡高浜町大字宮川[4]、現柏崎市)で板谷善左衛門の四男として生まれ、兄・常太の養嗣子となる[1]。
明治3年(1870年)北海道渡島国松前に渡り[2]、1875年、小樽に移って海産物商に奉公した[2]。1882年に独立して米穀雑貨の販売業を営む[2]。1893年、小型汽船を購入し、これが海運業を営むきっかけとなった[2]。1899年、兄・常太と板谷合名を創立し、物産販売、倉庫業、醸造業、海運業、鉱業、農業、漁業を営んだ[2][5]。1912年、板谷合名を板谷商船に改組した[2]。また、樺太庁長官の要請に応えて樺太銀行を設立し頭取を務めた[2]。
その他、小樽米穀株式外五品取引所理事、小樽商業会議所議員、小樽税務署所得税調査委員、小樽区会議員、小樽商業会議所商務部長、小樽海産物商組合長、小樽商業会議所副会頭、同会議所特別議員、日本船主同盟会理事などを務めた[4][5]。
親族
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]参考文献
[編集]- 上田正昭他『日本人名大辞典』講談社、2001年。
- 北海道新聞社編『北海道歴史人物事典』北海道新聞社、1993年。
- 実業之世界社編輯局 編 『財界物故傑物伝』上巻、実業之世界社、1936年。
- 金子信尚編『北海道人名辞書』第二版、北海民論社、1923年。
- 人事興信所編『人事興信録』第4版、1915年。