八幡山公園
八幡山公園 Hachimanyama Park | |
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遠景 | |
分類 | 都市公園(総合公園) |
所在地 | |
面積 | 11.8ha |
前身 | 塩田園 |
開園 | 1927年 |
運営者 | 宇都宮市指定管理者(大高商事・清水造園・宇都宮動物園共同事業体) |
設備・遊具 | 宇都宮タワー、ゴーカート、大型複合遊具、動物舎等 |
駐車場 | 70台 |
バリアフリー | あり |
事務所 | 八幡山公園管理事務所 |
事務所所在地 | 宇都宮市塙田5-1-1 宇都宮タワー内 |
公式サイト | 八幡山公園 |
八幡山公園(はちまんやまこうえん)は、栃木県宇都宮市塙田五丁目にある都市公園(総合公園)である[1]。敷地内には宇都宮タワーや八幡山交通公園などの設備がある。
概要
宇都宮市の中心市街地、宇都宮二荒山神社が鎮座する明神山の北に連なる峰が八幡山である。八幡山公園はこの八幡山山頂付近から山麓にかけて整備された複合レジャー施設であり、市民憩いの場として幅広く市民に親しまれている。
公園敷地にはつつじや桜が茂り、桜の季節になると露店が出されぼんぼりが灯り、宇都宮市内有数の花見のスポットである。この頃は休日を中心に大勢の花見客でにぎわい、公園駐車場は満車となる。
山頂付近には高さ30mのクスノキの巨木が立つ。このクスノキの樹齢は300年といわれ、温暖地に繁るクスノキが関東北部で定着し巨木となることは珍しく、1972年(昭和47年)12月8日に市指定の有形文化財に登録されている。
八幡山山頂に聳えて市内を見下ろす電波塔、「宇都宮タワー」は有料ながら展望台として開放されており、他にもゴーカートを体験できる「八幡山交通公園」、冒険気分を満喫できる冒険遊具を揃えた「アドベンチャーU」、タワー付近と交通公園付近をダイレクトに結ぶ「アドベンチャーブリッジ」など、観光・体験施設も比較的充実しており、年少者から年配者まで広く楽しむことができる。
沿革
- 1900年(明治33年) 1月 - 八幡山墓地供給開始[2]
- 1906年(明治39年)12月 - 八幡山に塩田蓬一郎(ほういちろう)が「塩田園」を開園[3]
- 1915年(大正4年) - 施設維持管理のため入園料を徴収[4]
- 1916年(大正5年)6月20日 - 八幡山備え付けの大砲による「ドン」第一発鳴らす[3]
- 1922年(大正11年)10月1日 - 八幡山東台に午砲所設置、正午時に「ドン」鳴らす[3]
- 1925年(大正14年)
- 1926年(大正15年) 4月 - 宇都宮市制30周年祝賀式の一環で、八幡山で東洋花火大会を開催する[5]
- 1927年(昭和2年)2月1日 - 宇都宮市立八幡山公園開園[3]
- 1932年(昭和7年)3月31日 - サイレン設置により八幡山のドン終了。[5]
- 1941年(昭和16年)11月 - 八幡山公園にプール設置[3]
- 1945年(昭和20年)6月 - 地下に旧陸軍司令部用の地下壕を掘り進めるが完成前に終戦[4]
- 1950年(昭和25年)6月 - 八幡山プールの進駐軍使用解除され市民に開放[6]
- 1953年(昭和28年)5月5日 - 八幡山公園に児童公園開園[3]
- 1965年(昭和40年)11月2日 - 栃木県児童会館開館[7]
- 1969年(昭和44年) - 老朽化のためプール廃止[8]
- 1972年(昭和47年)12月8日 - 公園内のクスノキが市指定の有形文化財に登録
- 1975年(昭和50年) - 交通公園開園[4]
- 1978年(昭和53年) - 日本庭園開園[4]
- 1980年(昭和55年)10月3日 -公園内にUHFテレビ中継搭 宇都宮タワー完成[3]
- 1986年(昭和61年)- 市制90周年とチチハル市友好都市2周年を記念し、同市より 丹頂鶴2羽贈られた。
- 1988年(昭和63年)3月31日 - 栃木県児童会館閉館[7]
- 1991年(平成3年)6月 - タンチョウに雛が誕生した[5]
- 1993年(平成5年)3月18日 - 管理事務所・倉庫・車庫新設[9]
- 1995年(平成7年)4月29日 - アドベンチャーUオープン[9]
- 1996年(平成8年)10月3日 - 公園内に防災備蓄庫設置[3]
- 1999年(平成11年)3月27日 - アドベンチャーブリッジ設置[9]
- 2003年(平成15年)2月 - うつのみや百景に選定[10]
施設等
現有施設
- 宇都宮タワー
- 宇都宮タワーの項を参照。
- 正面坂[11]
- 南入口から宇都宮タワーまでの坂の名称。
- 動物舎
- かつてはタンチョウは宇都宮タワー西側の広場、孔雀は宇都宮タワー南側の現展望台に飼育舎があった。
- アドベンチャーブリッジ
- 宇都宮タワーがある八幡山頂上付近からアドベンチャーU間を結ぶ全長152M高さ30M幅1.5M~4Mのモノストーム式鋼吊床版橋としては日本一の長さ[9]。
- アドベンチャーU[11]
- 俗称「宝くじ公園」といい、日本宝くじ協会の寄贈施設。
- 見晴台
- 園内を展望できる。
- 滑り台
- ローラー滑り台
- 全長58mのコースにローラーが並べられ、ロールの上を滑り降りる滑り台。
- せせらぎ水路
- 日本庭園[11]
- 人工の滝と下流の池を中心に造成された日本式庭園。池では鯉が飼われている。
- 八幡山交通公園
- ゴーカートがある。詳細は八幡山交通公園の項を参照。
- 花見広場[11]
- 八幡山公園の南西部の平坦地にテーブルとベンチ、健康遊具が設置されている。桜が多数植えられている。
- ひょうたん池[11]
- 八幡山公園の東側の登り口にある池。上空にはアドベンチャーブリッジが架かる。
- 大クスノキ(市指定有形文化財)
- 展望台[11]
- 西駐車場[13]
- 八幡山公園南西麓に設けられた無料の駐車場で収容台数50台。県庁西通り(市道240号)の歩道橋下から入る。
- 東駐車場[13]
- 宇都宮タワーとアドベンチャーUの谷間を通る市道908号線沿いに位置する無料の駐車場で収容台数20台。
- おもいやり駐車場[13]
- 展望台近くに設置
- 八幡山墓地
- 八幡山公園と蒲生神社の間に位置する。
- 管理事務所別館
- 1993年新設したが、管理事務所機能は宇都宮タワー内に移され、別館となった。
廃止・撤去済み
- 秋葉神社
- 塩田園時代に八幡山山頂設置[14]
- 八幡山のドン
- 宇都宮タワーの辺り
- 元々は第十四師団が宇都宮に駐屯して間もない頃、当時の師団長が師団司令部前の広場に高さ6mの丘を作らせ、口径75ミリの旧式野砲を据付け、「住民に正午を知らせる」ため毎日号砲をうたせたのに由来する。軍事費削減のため1922年(大正11年)9月15日を最後に廃止されたが、市民にも親しまれていたため陳情が絶えぬことから、市は司令部と交渉し、無償で譲り受けて八幡山に設置。同年10月1日より宇都宮市の管轄することになり、初日は師団兵が世話する中、市長が綱を引いて放たれた。昭和7年にはサイレンが設置されたので号砲は廃止されたが、しばらくは大砲は残置され子どもたちの遊び場に。[15][5]
- 観覧車
- 宇都宮タワーが建てられる前に同場所にあった。
- プール
- 皇紀2600年記念事業の一つとして、市民から要望の多かったプールを八幡山公園の凹み地に設置した。日中戦争の戦時下もあり、資材調達に難があるため無筋コンクリート構造とした。900m離れた場所に湧出する清水を横井戸にて集水し揚水ポンプで給水した。プールは児童遊泳用と競泳用の2つで、双方とも長さ25m・幅15mの面積375平方メートルであったが深さは児童用が40cm~60cm、競技用は1m40cm~1m60cmとし飛込は2.9mであった。完成後に日本水上競技連盟より公認プールの承認を得た[16]。
- 現在の西側駐車場で、宇都宮市営プール第一号であった。昭和30年代中頃までは小中学校にプールは無く、川で泳いでいた時代なので、夏になると多くの子どもたちでにぎわっていた[17]。
- 梅林
- プール閉鎖後、駐車場として整備されるまでは梅が植えられて、通称「梅林」と呼ばれていた。
- 八幡山児童遊園地[18]
- 東戸祭1丁目1-1(現・花見広場)
- 開園日:昭和28年5月5日
- ジャンボ滑り台
- 日本庭園から蒲生神社へ向かう広場に設置されていた。
- 1971年(昭和46年)設置の大永スポーツ機器のV型ゴムローラーすべり台[21]
- 虫の楽園[22]
- 野外劇場[22]
- バレーコート[22]
栃木県児童会館
栃木県の施設で、大曽町602番地(現アドベンチャーU)に設置されていた。設置場所選定時、市街地に近く競輪場が隣接することから天文観察等の影響が懸念されたが、1964年12月建築開始し、1965年(昭和40年)11月2日に落成式、翌日より一般公開された。鉄筋コンクリート造2階建て一部4階建て(プラネタリウム屋根や天文台部分)、総事業費3,500万円のうち2,000万円は県債でまかなわれた。 後継施設の栃木県子ども総合科学館完成により、1988年3月31日をもって閉館[7][24]。
- 展示内容の一部
- プラネタリウム 1975年に機器の故障により新機種(GX-10-T)に交換され、1976年4月から利用料が無料となった。
- パノラマ理想都市と鉄道模型 鉄道模型のジオラマ。
- 古墳の模型
- かみなりの様子
- トヨエースカットシャーシ
- コンピューターのしくみ
- 星座のしくみ
- 動物の剥製
- キツネ、アナグマ、ペンギン、タヌキ、かもしか、子鹿、クマなど
旧陸軍地下司令部跡
昭和20年代、児童館の場所は対空高射砲陣地で、何基も設置されていた。その地下には、旧陸軍の地下司令部の壕が残る[25][26]。この壕は終戦間近の1945年(昭和20年)6月に本土決戦を想定して建設が始まったもので、機密保持のため宇都宮師管区の東部36・37・38・42部隊に属する隊員約250人が秘密裏に工事を進めた[26]。作業隊は11個小隊に分けられ、各々が1か所ずつ出入り口の建設を担当した[26]。3交代で24時間態勢で建設が進められたが、終戦までには間に合わず、実際に使用されることはなかったが、アメリカ軍が進駐してきた際に未完成では日本軍の名折れであるとして、終戦後も完成まで工事は行われた[26]。
戦後、地元では「八幡台の防空壕」と通称されていたが、2000年(平成12年)に戦災記録保存事業のために調査が行われ、旧陸軍地下司令部跡であることが判明した[26]。2002年(平成14年)からは一般公開をしていたが、内部の崩落の危険があるため、2021年(令和3年)現在は公開していない[26]。
司令部の壕は、AラインからJラインまで10本の壕で構成され、八幡山公園地下を南北に貫く最も長いAラインは364.6 mに及ぶ[26]。他のラインはすべてAラインに接続しており、最も長いCラインが49.6 m、最も短いFラインは25.0 mである[26]。
アクセス
- 路線バス
- 徒歩
- 東武宇都宮駅北口から
- 徒歩20分
脚注・出典
- ^ 宇都宮市都市計画決定一覧
- ^ 八幡山墓地宇都宮市霊園
- ^ a b c d e f g h i 『宇都宮市消防沿革史』宇都宮市消防本部 1999年
- ^ a b c d e 塙静夫『うつのみや歴史探訪』随想舎 2008年9月27日発行
- ^ a b c d 『写真でつづる宇都宮百年』宇都宮市制100周年記念事業実行委員会 1996年4月1日発行
- ^ 『宇都宮市勢要覧 昭和42年度』宇都宮市 P39
- ^ a b c 「児童会館記念誌」栃木県児童会館/編(1988年)
- ^ 広報うつのみや 1995年(平成7年)7月号№1380 P40「私の一枚」
- ^ a b c d 『宇都宮市の公園緑地 平成19年度』宇都宮市都市開発部公園緑地課/編 2007年
- ^ 宇都宮市都市開発部都市計画課『うつのみや百景』宇都宮市、2003年2月、1-3頁。
- ^ a b c d e f 八幡山公園散歩マップ八幡山公園
- ^ 『登山案内 続一等三角点全国ガイド』ナカニシヤ出版 2013年12月 P64 ISBN 978-4-7795-059-11
- ^ a b c 八幡山公園駐車場案内図g八幡山公園
- ^ 塙田睦会三十五周年記念誌「八重と八雲と八幡と」(平成23年3月発行)
- ^ 広報うつのみや 1995年(平成7年)10月号№1385 P40「私の一枚」
- ^ 『土木技術 第3巻第8号 1942年(昭和17年)8月号』 P46-48
- ^ 『広報うつのみや 1995年(平成7年)7月号№1380』宇都宮市 P40「私の一枚」
- ^ 『公園緑地』宇都宮市都市開発部公園緑地課 1980年7月発行
- ^ 購入年は出典である1980年時点のデータなので、自動車は消耗品として適宜取り替えているようである。
- ^ 「宇都宮市の昭和」 P42に写真
- ^ 『月刊アミューズメント産業 1986年12月号』アミューズメント産業出版 1986年12月 P87
- ^ a b c 「宇都宮市の公園緑地 昭和60年」宇都宮市都市開発部公園緑地課/編 1985年
- ^ 1972年6月27日付下野新聞4面
- ^ プラネタリウムが併設されていた栃木県立児童館の概要を知りたい。レファレンス協同データベース
- ^ 栃木県児童会館/編(1988年) 頁16
- ^ a b c d e f g h 東地域まちづくり推進協議会「歴史・文化遺産研究会」 編 2016, p. 136.
参考文献
- 東地域まちづくり推進協議会「歴史・文化遺産研究会」 編 編『宇都宮市東地区の歴史と展望』東地域まちづくり推進協議会「歴史・文化遺産研究会」、2016年3月、379頁。