松阪市立揥水小学校
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松阪市立揥水小学校 | |
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北緯34度32分52秒 東経136度34分58秒 / 北緯34.54775度 東経136.582778度座標: 北緯34度32分52秒 東経136度34分58秒 / 北緯34.54775度 東経136.582778度 | |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 松阪市 |
設立年月日 | 1873年6月10日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学校コード | B124220420174 |
所在地 | 〒515-0205 |
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松阪市立揥水小学校(まつさかしりつ ていすいしょうがっこう)は三重県松阪市の市立小学校。
沿革
- 1873年(明治6年)6月10日 - 豊原学校(豊原村郷土演武場内)開校[1]。
- 1875年(明治8年)
- 8月 - 清水学校(清水西方寺内)と、七見学校(下七見寺内)が開校[1]。
- 9月 - 山添学校(山添正覚寺内)開校。
- 1882年(明治15年)10月 - 豊原村字西町に新校舎設置。揥水学校に改称[1]。
- 1883年(明治16年)6月 - 山添学校と連合し果育学校と称し、山添学校を分校とする[1]。
- 1884年(明治17年)8月 - 清水学校と七見学校が合併し清見学校となる[1]
- 1887年(明治20年)1月 - 山添学校を分離し、清見学校と合併して、揥水尋常小学校とする。[1]。
- 1889年(明治22年)3月 - 市町村合併により櫛田村立揥水小学校となる[1]。
- 1892年(明治25年)8月 - 山添学校は神山第三尋常小学校となる[1]。
- 1898年(明治31年)3月 - 高等科を設置し揥水尋常高等小学校とする[1]。
- 1908年(明治41年)3月 - 神山村のうち山添、安楽、山下が櫛田村と合併。神山第三尋常小学校は廃校[1]。
- 1913年(大正2年)4月5日 - 豊原字櫛田に新校舎設置[1]。
- 1938年(昭和13年)1月1日 - 伊藤森蔵の寄贈により二宮金次郎像を建立。台石には「勤倹力行」と書かれた[2]。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 飯南郡櫛田村国民学校に改称[1]。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 飯南郡櫛田村立櫛田小学校に改称[1]。
- 1952年(昭和27年)6月10日 - 飯南郡櫛田村立揥水小学校に改称[1]。
- 1956年(昭和31年)9月 - 豊原町に新校舎(鉄筋三階建)設置[1]。
- 1957年(昭和32年)10月1日 - 市町村合併により松阪市立揥水小学校に改称[1]。
- 1963年(昭和38年)5月5日 - 創立90周年記念式にて校歌制定、校旗新調[1]。
- 1966年(昭和41年)7月11日 - プール落成[1]。
- 1973年(昭和48年)6月10日 - 創立100周年[1]。
- 1979年(昭和54年)4月 - 隣接していた飯野中学校が廃校となり、旧飯野中校舎を第二校舎とする[1]。
- 1987年(昭和62年) - 新校舎設置。
- 1988年(昭和63年) - 体育館落成。
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校区
山添町、安楽町、山下町、豊原町、櫛田町、清水町、菅生町
児童数
校名の由来
「揥水」とは近隣を流れる櫛田川の別名である。これは当地出身の江戸時代中期の儒学者・奥田三角の名付けた呼称で、「揥」とは櫛を意味する[4]。
校内
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忠魂碑と平和の碑
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グラウンド
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校門(県道側)
出身者
周辺
- 櫛田駅
- 櫛田川
- 櫛田神社
- 光蓮寺
- 神山(こうやま) - 校歌冒頭より歌われている。
- 三重県道37号鳥羽松阪線
参考文献
- 夕刊三重新聞社(編)『新松阪風土記』夕刊三重新聞社、1976年9月25日、ASIN B000J9ERME
脚注
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t 学校の沿革史|創立110周年記念下敷・松阪市立揥水小学校(1983年6月10日)
- ^ 夕刊三重新聞社『新松阪風土記』1976年9月25日、P88
- ^ 松阪市ウェブサイト
- ^ 揥水まちづくり協議会『揥水歴史散策マップ』櫛田地区市民センター 2014年7月発行
- ^ 木下ひろしのプロフィール(2014年7月28日閲覧。)
- ^ “近藤さんが“マラソンの父”金栗四三の半生つづる 来年のNHK大河ドラマ主人公”. 夕刊三重 (2018年9月29日). 2019年4月11日閲覧。
- ^ 川崎フロンターレ"選手・スタッフプロフィール: KAWASAKI FRONTALE/飛弾暁"(2011年5月14日閲覧。)