大瀧神社・岡太神社
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大瀧神社・岡太神社 | |
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所在地 | 福井県越前市大滝町23-10 |
位置 | 北緯35度54分22秒 東経136度15分10.7秒 / 北緯35.90611度 東経136.252972度座標: 北緯35度54分22秒 東経136度15分10.7秒 / 北緯35.90611度 東経136.252972度 |
主祭神 |
大瀧神社:國常立尊・伊弉諾尊 岡太神社:川上御前(岡太大神) 御神体山:権現山 |
社格等 | 県社 |
創建 | (伝)養老3年(719年) |
例祭 |
春期例祭(5月3-5日) 秋期例祭(10月11-13) |
主な神事 |
式年大祭 三十三年毎(本開帳) 御神忌 五十年毎(中開帳 |
地図 |
大瀧神社・岡太神社(おおたきじんじゃ・おかもと-)は、福井県越前市大滝町にある神社である。上宮(奥の院)には大瀧・岡太両神社の本殿が並んで建つが、下宮(里宮)の本殿・拝殿は両神社の共有となっていることから、2つの神社の名前が併記される。国の重要文化財指定名称は「大滝神社」である。
歴史
伝承によれば、養老3年(719年)、この地を訪れた泰澄が、国常立尊(くにとこたちのみこと)・伊弉諾尊(いざなぎのみこと)を主祭神とし、十一面観世音菩薩を本地とする神仏習合の社を創建し、大瀧兒(おおちご)権現を建立したという。後に明治時代の神仏分離令により、現在の大瀧神社となった[1]。
岡太神社については、約1500年前、大滝町の岡本川上流に美しい姫が現れ、村人に紙漉きの技術を伝えたのが始まりとされている。この伝説の姫『川上御前』を、和紙の神様・紙祖神(しそじん)として祀ったのが岡太神社である[1] 。延元2年(1337年)の足利軍の兵火で社殿が失われ、岡太神社の祭神を大瀧神社の相殿に祭った。さらに天正3年(1575年)、織田信長の一向一揆攻略の際、大瀧寺一山が兵火に遭い消失。再建時に大瀧神社の摂社として境内に祀られるようになった。
大正12年(1923年)、大蔵省印刷局抄紙部に川上御前の分霊が奉祀され、岡太神社は名実共に全国紙業界の総鎮守となった。
神社の格としては大瀧神社の方が上であるが、住民達が崇拝してきたのは川上御前であったため「大瀧神社・岡太神社」と並記していると考えられている[2] 。
文化財
- 重要文化財(国指定)
- 大滝神社本殿及び拝殿[3](下宮本拝殿)
- 県指定天然記念物
- 大滝神社のゼンマイザクラ[4]
- 昭和39年6月5日指定。ゼンマイのとれる頃に花が満開となる、エドヒガンの大木。
- 大滝神社の大スギ[5]
- 昭和39年6月5日指定。通称「おお杉さん」。神社の神木としてしめ縄がかけられ、柵で囲み保護されている。
- 大滝神社奥の院社叢[6]
- 昭和61年3月28日指定。権現山(標高326m)山頂付近のブナの原生自然林。
- 市指定文化財
すべて昭和61年8月12日指定。
- 大滝神社奥の院本殿
- 奥の院岡太神社本殿
- 木造十一面観音坐像
- 観音堂に安置。
- 木造獅子頭
- 木造狛犬(一対)
交通
- JR武生駅から車で20分または福鉄バス和紙の里経由戸の口行乗車、終点
- 北陸自動車道武生インターチェンジから東へ約10分
関連項目
脚注
- ^ a b “jinjya no rekisi of 和紙の神様「川上御前」をお祀りしている神社”. 和紙の里 (2011年). 2015年5月25日閲覧。
- ^ “大瀧神社”. 橿原日記 (2010年8月15日). 2015年5月25日閲覧。[出典無効]
- ^ “文化遺産データベース「大滝神社本殿及び拝殿」”. 文化庁. 2015年11月29日閲覧。
- ^ “福井の文化財「大滝神社のゼンマイザクラ」”. 福井県. 2015年11月29日閲覧。
- ^ “福井の文化財「大滝神社の大スギ」”. 福井県. 2015年11月29日閲覧。
- ^ “福井の文化財「大滝神社奥の院社叢」”. 福井県. 2015年11月29日閲覧。
外部リンク
- 和紙の神様「川上御前」をお祀りしている神社 - 和紙の里
- 大滝神社本殿及び拝殿 - 文化庁
- ふくい歴史百景 - 福井テレビ
- 東日本の仰天遺産ベスト5(後編) - 日経ビジネスオンライン
- 大滝神社 - 伊萬太千はやみね
- 大瀧神社 - 橿原日記
- 大瀧神社・岡太神社 - ウェイバックマシン(2009年10月15日アーカイブ分) - ぶらり寺社めぐり