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親方町

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日本 > 青森県 > 弘前市 > 親方町
親方町
親方町の位置(青森県内)
親方町
親方町
親方町の位置
北緯40度36分8.47秒 東経140度28分6.32秒 / 北緯40.6023528度 東経140.4684222度 / 40.6023528; 140.4684222
日本の旗 日本
都道府県 青森県
市町村 弘前市
人口
2017年(平成29年)6月1日現在)[1]
 • 合計 76人
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
036-8191
市外局番 0172[2]
ナンバープレート 弘前

親方町(おやかたまち)は、江戸期から現在にかけての青森県弘前市の地名。郵便番号は036-8191。2017年6月1日現在の人口は76人、世帯数は53世帯[1]

地理

青森県道28号岩崎西目屋弘前線の終点で、土手町新鍛冶町から元長町にかけての筋道の町で、元長町にかけて坂になっている。町域の北部は元寺町一番町、北東部は土手町、東部は新鍛冶町、南部は鍛冶町本町、西部は元長町に接する。

歴史

  • 弘前城築城時 - 現在の下白銀町元大工町の間に東西に走る町並みがあり、当時当地の主要部であった。
  • 正保3年 - 町屋として町割り(津軽弘前城之絵図)。
  • 慶安2年 - 築城時の町並みを含めた親方町が見え、屋号をもつ商家が集住し、屋敷が39軒(弘前古御絵図)。
  • 延宝5年9月 - 当地からあがった火の手が塩分町まで広がり、当地と塩分町を全焼。侍屋敷10軒、町年寄・町屋85軒が焼失(国日記)。また、家屋160軒が焼失ともある(元禄日記)。
  • 貞享3年 - 大手町とも称していた(津軽史)。
  • 元禄6年 - 大店のある商人町(平山日記)。
  • 享保4年頃 - 下白銀町・元大工町との町並みは無くなり、現在の町域となる。町内には絵師・鎚屋・商家など31軒と御用屋敷が置かれている(町屋数円)。
  • 宝暦6年 - 武家屋敷が姿を消し、町屋が33軒(弘前町惣屋鋪改大帳)
  • 明治初年 - 町の状況は茶店・燕脂屋・餅屋等があった(国誌)。

沿革

  • 江戸期 - 弘前城下の一町。
  • 明治初年~明治22年 - 弘前を冠称。
  • 1899年(明治22年) - 弘前市に所属。

地名の由来

現在の下白銀町の追手門付近に町年寄松井・松山両家があり、町年寄を町親方と称したので、それにちなむものと思われる。

施設

医療

  • 征木内科医院

商業

  • オザキフローリスト
  • 株式会社コーナン
  • 弘前倉庫株式会社 農業事業部
  • 株式会社大周
  • 弘前損保株式会社
  • ローソン弘前親方町店
  • 成田書店
  • 有限会社パール堂
  • 白十字砂糖株式会社

金融

小・中学校の学区

市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる。

大字 番地 小学校 中学校
親方町 全域 弘前市立時敏小学校 弘前市立第一中学校

交通

青森銀行前(弘前駅 - 金属団地・桜ヶ丘線、他)停留所。

関連項目

脚注

  1. ^ a b オープンデータひろさき 弘前市 町名別人口・世帯数_平成29年”. ひろさき未来戦略研究センター (2017年6月1日). 2017年6月18日閲覧。
  2. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2017年5月29日閲覧。

参考文献

角川日本地名大辞典 2 青森県(角川書店)