戸田氏常
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戸田 氏常(とだ うじつね、元禄9年(1696年)[1] - 寛延4年1月29日(1751年2月24日))は、江戸時代後期の旗本寄合席。美濃国大垣藩主家分家の旗本牛洞戸田氏3代目当主。諱は氏常。通称は権之助、民部。父は戸田氏胤。母は保科正景の娘。正室は阿部正房の娘。実子は戸田氏香、保科正盈(保科正倫養子)、戸田氏休、娘(大久保忠恒継室)。石高は美濃国大野郡新田3500石。
生涯
[編集]兄三四郎が早世していたこともあり、元禄14年(1701年)に父・氏胤の跡を継ぎ、宝永2年2月1日(1705年2月24日)に徳川綱吉へ初めて御目見えする。
享保4年7月22日(1719年)に家臣が誤って、鷹狩中の徳川吉宗一行の進路妨害をしたことにより、同年9月20日(1719年)まで出仕停止となる。
元文6年(1741年)刊行の須原屋茂兵衛蔵版武鑑において御寄合衆に「駒込 戸田民部」と見える。
寛延4年正月29日死去。享年56。法名は實道。墓所は代々の葬地である駒込蓮光寺。
脚注
[編集]- ^ 寛政重修諸家譜記載の享年からの逆算