瑞穂古墳群
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瑞穂古墳群 | |
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所在地 | 愛知県名古屋市瑞穂区豊岡通3丁目 |
位置 | 北緯35度7分23.9秒 東経136度56分24.4秒 / 北緯35.123306度 東経136.940111度座標: 北緯35度7分23.9秒 東経136度56分24.4秒 / 北緯35.123306度 東経136.940111度 |
形状 | 円墳 |
出土品 | 円筒埴輪 |
築造時期 | 6-7世紀(古墳時代) |
被葬者 | 不明 |
地図 |
瑞穂古墳群(みずほこふんぐん)は、愛知県名古屋市瑞穂区豊岡通3丁目にある古墳の総称である。
概要
6世紀から7世紀にかけて築造されたと考えられている。かつては4基の円墳が存在し、そのうち2-4号墳が約50メートル間隔で存在していたことから、地元では三つ塚と呼ばれていた[1][2][注 1]。瑞穂陸上競技場(現在のパロマ瑞穂スタジアム)や瑞穂球場の建設・改修等によって、現存するのは2基のみ。発掘調査はなされていない[3]。
現存する古墳
- 1号墳
- 北緯35度7分23.9秒 東経136度56分24.4秒 / 北緯35.123306度 東経136.940111度
- 豊岡小学校の校庭南側に位置する。高さは約4メートル、直径は20メートル以上あったと考えられている[4]が、現在残っている部分の規模はかなり小さい。
- 2号墳
- 北緯35度7分23.9秒 東経136度56分28秒 / 北緯35.123306度 東経136.94111度
- 名古屋市瑞穂公園内の児童公園の一角、野球場の南側にある。もとは高さ約7メートル・直径約30メートルの規模があったと推定されている[4]が、表土の流出が激しく外観は失われている。墳丘はチェーンで囲まれ立入禁止だが、子供でも容易に立ち入る事が可能な状態になっている。
滅失した古墳
- 3号墳
- 2号墳の北側に存在した。野球場建設の際に削り取られ、現存しない。
出土品
1号墳からは小型円筒埴輪片が、2号墳からは墳頂部に円筒埴輪列が見つかっている[3][5][6]。円筒埴輪はいずれも土師質で、外面に粗く縦ハケが施されている[3]。これらの出土埴輪は名古屋市博物館に所蔵されている。
脚注
注釈
- ^ 史跡説明板(名古屋市教育委員会設置)では、「三つ塚」を1-3号墳としている。
出典
- ^ 瑞穂区の歴史 1985, p. 36.
- ^ みずほ検定 2012, p. 33.
- ^ a b c d 新修名古屋市史 2008, p. 769.
- ^ a b 史跡説明板.
- ^ 瑞穂区の歴史 1985, p. 35-36.
- ^ 瑞穂区誌 1994, p. 69.
参考文献
- 史跡説明板. 名古屋市教育委員会.
- 山田寂雀著 著、瑞穂区郷土史研究会編 編『瑞穂区の歴史』愛知県郷土資料刊行会〈名古屋区史シリーズ〉、1985年。ISBN 4871610357。
- 瑞穂区制施行50周年記念事業実行委員会編 編『瑞穂区誌 区制施行50周年記念』瑞穂区制施行50周年記念事業実行委員会・名古屋市瑞穂区役所、1994年。全国書誌番号:94043882。
- 新修名古屋市史資料編集委員会編 編『新修名古屋市史 資料編 考古1』名古屋市、2008年。ISBN 978-4-903305-02-8。
- 瑞穂区役所・瑞穂区郷土史跡研究会編 編『みずほ検定 歴史・史跡・地名・産業文化編 公式テキスト』名古屋市瑞穂区役所、2012年。