コンテンツにスキップ

瑞穂古墳群

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。240b:251:e1:2e00:e4c4:aa84:41b5:eb8 (会話) による 2022年7月11日 (月) 00:12個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

瑞穂古墳群
2号墳(2016年平成28年)1月)
所在地 愛知県名古屋市瑞穂区豊岡通3丁目
位置 北緯35度7分23.9秒 東経136度56分24.4秒 / 北緯35.123306度 東経136.940111度 / 35.123306; 136.940111座標: 北緯35度7分23.9秒 東経136度56分24.4秒 / 北緯35.123306度 東経136.940111度 / 35.123306; 136.940111
形状 円墳
出土品 円筒埴輪
築造時期 6-7世紀(古墳時代
被葬者 不明
地図
瑞穂古墳群の位置(愛知県内)
瑞穂古墳群
瑞穂古墳群
テンプレートを表示

瑞穂古墳群(みずほこふんぐん)は、愛知県名古屋市瑞穂区豊岡通3丁目にある古墳の総称である。

概要

6世紀から7世紀にかけて築造されたと考えられている。かつては4基の円墳が存在し、そのうち2-4号墳が約50メートル間隔で存在していたことから、地元では三つ塚と呼ばれていた[1][2][注 1]瑞穂陸上競技場(現在のパロマ瑞穂スタジアム)や瑞穂球場の建設・改修等によって、現存するのは2基のみ。発掘調査はなされていない[3]

現存する古墳

1号墳
北緯35度7分23.9秒 東経136度56分24.4秒 / 北緯35.123306度 東経136.940111度 / 35.123306; 136.940111
豊岡小学校の校庭南側に位置する。高さは約4メートル、直径は20メートル以上あったと考えられている[4]が、現在残っている部分の規模はかなり小さい。
2号墳
北緯35度7分23.9秒 東経136度56分28秒 / 北緯35.123306度 東経136.94111度 / 35.123306; 136.94111
名古屋市瑞穂公園内の児童公園の一角、野球場の南側にある。もとは高さ約7メートル・直径約30メートルの規模があったと推定されている[4]が、表土の流出が激しく外観は失われている。墳丘はチェーンで囲まれ立入禁止だが、子供でも容易に立ち入る事が可能な状態になっている。

滅失した古墳

3号墳
2号墳の北側に存在した。野球場建設の際に削り取られ、現存しない。
4号墳
2号墳のそば、野球場豊岡小学校の間にある道路付近に存在したとされる[3]昭和25年(1950年)に瑞穂陸上競技場の拡張工事で削り取られ、現存しない。

出土品

1号墳からは小型円筒埴輪片が、2号墳からは墳頂部に円筒埴輪列が見つかっている[3][5][6]。円筒埴輪はいずれも土師質で、外面に粗く縦ハケが施されている[3]。これらの出土埴輪は名古屋市博物館に所蔵されている。

脚注

注釈

  1. ^ 史跡説明板(名古屋市教育委員会設置)では、「三つ塚」を1-3号墳としている。

出典

参考文献

  • 史跡説明板. 名古屋市教育委員会.
  • 山田寂雀著 著、瑞穂区郷土史研究会編 編『瑞穂区の歴史』愛知県郷土資料刊行会〈名古屋区史シリーズ〉、1985年。ISBN 4871610357 
  • 瑞穂区制施行50周年記念事業実行委員会編 編『瑞穂区誌 区制施行50周年記念』瑞穂区制施行50周年記念事業実行委員会・名古屋市瑞穂区役所、1994年。全国書誌番号:94043882 
  • 新修名古屋市史資料編集委員会編 編『新修名古屋市史 資料編 考古1』名古屋市、2008年。ISBN 978-4-903305-02-8 
  • 瑞穂区役所・瑞穂区郷土史跡研究会編 編『みずほ検定 歴史・史跡・地名・産業文化編 公式テキスト』名古屋市瑞穂区役所、2012年。 

関連項目