ニール・ヘフティ
ニール・ヘフティ Neal Hefti | |
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基本情報 | |
生誕 | 1922年10月29日 |
出身地 | アメリカ合衆国ネブラスカ州ヘイスティングズ |
死没 | 2008年10月11日(85歳没) |
ジャンル | スウィング・ジャズ / ビッグバンド |
職業 | 作曲家・編曲家・トランペット奏者 |
担当楽器 | トランペット |
共同作業者 | カウント・ベイシー |
ニール・ヘフティ(Neal Hefti、1922年10月29日 - 2008年10月11日)は、アメリカ合衆国ネブラスカ州ヘイスティングズ出身のジャズ・トランペット奏者、作曲家。
カウント・ベイシー楽団の初期のコンポーザーとして知られており、1960年代から70年代にかけては数多くの映画音楽を手がけている。ウディ・ハーマン楽団でもトランペット奏者兼コンポーザーとして活動していた。
経歴
ネブラスカ州ヘイスティングスの貧しい家庭に生まれる[1]。11歳でトランペットを始め、その時代にオマハにツアーで訪れたカウント・ベイシー楽団のハリー・エディソンとバック・クレイトン、さらにはディジー・ガレスピーに強く影響を受けたと後に語っている[2]。ハイスクール時代には地元バンドのためにアレンジの活動を始めていたという[1]。
ハイスクール卒業2日前にディック・バリー楽団のオファーを受けてニュージャージーにバンドと同行するも、初見での演奏(当時のプロのバンドは、初めての譜面を見てもすぐに本番の演奏を行う技術が求められていた)ができなかったためにすぐにバンドを解雇される。ネブラスカに戻ろうにも手持ちの金がなく途方に暮れていたが、なんとかボブ・アスターのバンドに雇われる。ニールと同居していた当時のバンドのドラマーだったシェリー・マンは、当時すでに彼の作曲技術に感嘆していたという[2]。しかししばらくの間はアレンジに専念せず、アスターのバンドメンバーとしてトランペットとしての技術を磨くことになる。
後に怪我のためにアスターのバンドを離れることになるが、しばらくはニューヨークにとどまり、チャーリー・バーネットの代表作となる「Skyliner」のアレンジを手がける。
1944年、ヘフティはカリフォルニアでウディ・ハーマンと出会い、彼の楽団 "First Herd" (第1期ウディ・ハーマン楽団)にトランペット奏者として参加。本人曰く「初めて本物のジャズバンドに加わった」と述べている[2]。ヘフティはこのバンドでアレンジの才能を伸ばし、ビッグバンドでのビバップスタイルの人気につなげた。
1946年、ヘフティは "First Herd" を離れ、フリーのアレンジャーとして活動。バディ・リッチ楽団やジョージー・オールド楽団、ハリー・ジェイムス楽団向けのアレンジを手がけた後[1]、1950年にカウントベイシー楽団にコンポーザー兼アレンジャーとして参加。後に「ベイシーサウンド」と呼ばれる、よりタイトでモダンなサウンドを確立させる[1][3]。
2008年10月11日、カリフォルニア州トルカレイクの自宅で85歳で自然死[4]。
代表曲
- BATMAN THEME(邦題:「バットマン」「バットマンのテーマ」)(1966年、TV映画『バットマン』テーマ曲):作曲。演奏はニール・ヘフティ楽団、またはネルソン・リドル楽団。マーケッツやザ・ベンチャーズ、ジャン&ディーン、アル・カイオラ楽団など、数多くのカバーバージョンが作られた事でも有名。日本では水谷じゅんによる日本語詞がつけられ、ジャニーズ(演奏はジャッキー吉川とブルーコメッツ)やボーカル・ショップがカバーしているほか、オフィス57が原曲の歌詞でカバーしている。
出典
- ^ a b c d Colin Larkin, ed (1997). The Virgin Encyclopedia of Popular Music (Concise ed.). ヴァージン・ブックス. p. 590. ISBN 1-85227-745-9
- ^ a b c アイラ・ギトラー. Swing to Bop. Oxford University Press, New York, 1985
- ^ バリー・ウラノフ. A History of Jazz in America. Da Capo Press, New York, 1972
- ^ Weber, Bruce (2008-10-15). "Neal Hefti, Composer, Is Dead at 85 ". The New York Times.