弘法口駅
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弘法口駅* | |
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付近を走るモ570形 | |
こうぼうぐち KŌBŌGUCHI | |
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所在地 |
岐阜県岐阜市 北緯35度24分44秒 東経136度43分14秒 / 北緯35.41209度 東経136.72067度[1] |
所属事業者 | 名古屋鉄道 |
所属路線 | 鏡島線 |
キロ程 | 3.1 km(千手堂起点) |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 2面2線 |
開業年月日 | 1924年(大正13年)4月21日 |
廃止年月日 | 1964年(昭和39年)10月4日 |
備考 | * 1953年に弘法西口駅から改称。 |
弘法口駅(こうぼうぐちえき)は、岐阜県岐阜市鏡島にあった、名古屋鉄道鏡島線の駅。
乙津寺(鏡島弘法)の最寄り駅であり[2]、毎月21日の命日は鏡島弘法の参拝客で賑わったという。また、長良川の渡船である小紅の渡しの最寄駅であった。
歴史
1924年(大正13年)に鏡島線が美濃電気軌道の手により開通した際に開業。当時の駅名は弘法西口駅(こうぼうにしぐちえき)であった[4]。その後、当駅を含む鏡島線の森屋駅 - 鏡島駅間は戦時下の1944年(昭和19年)に不要不急線に指定、休止される[5]。戦後の1953年には森屋駅から当駅までが休止状態を解かれ、弘法口駅と改称のうえ営業を再開。翌年には鏡島駅までの区間も復活した。しかしすでに沿線地域ではモータリゼーションが進行、その影響を受けて1964年(昭和39年)に鏡島線は前線が廃止され[6]、当駅も廃駅となった。改称から10年余りのことである。
- 1924年(大正13年)4月21日 - 美濃電気軌道鏡島線の千手堂駅 - 鏡島駅間の営業開始と同時に弘法西口駅として開業[7][8]。
- 1930年(昭和5年)8月20日 - 美濃電気軌道が名古屋鉄道(初代。同年中に名岐鉄道に改称し、1935年より名古屋鉄道に再改称)に合併。同社の鏡島線の駅となる[8]。
- 1944年(昭和19年)12月11日 - 森屋駅 - 鏡島駅間が不要不急路線に指定され休止[5]。当駅も営業休止となる[8]。
- 1953年(昭和28年)8月16日 - 休止区間のうち、森屋駅 - 当駅間が復活、営業再開。同時に弘法口駅に改称される[8]。
- 1954年(昭和29年)9月10日 - 休止区間のうち、残りの当駅 - 鏡島駅間が復活、営業再開[8]。
- 1964年(昭和39年)10月4日 - 鏡島線の廃止にともない廃駅となる[8][9]。
駅構造
隣の駅
脚注
- ^ a b 国土地理院・2.5万地形図「墨俟(岐阜西部)」、1932年(昭和7年)修正版。
- ^ “廃止から10年・岐阜の電車(平成27年 春季特別展)”. 名鉄のオススメ. 名古屋鉄道. 2016年7月2日閲覧。
- ^ 徳田耕一『名鉄600V線の廃線を歩く-惜別の“岐阜線”と空港線誕生』JTBパブリッシング〈JTBキャンブックス〉、2005年、74頁。ISBN 978-4-53305-883-7。
- ^ 『岐阜のチンチン電車 岐阜市内線と美濃町・揖斐・谷汲線の85年』郷土出版社、1997年、151頁。ISBN 4-87670-097-4。
- ^ a b 『岐阜のチンチン電車 岐阜市内線と美濃町・揖斐・谷汲線の85年』郷土出版社、1997年、23頁。ISBN 4-87670-097-4。
- ^ 川島令三『全国鉄道事情大研究』 名古屋北部・岐阜篇 1、草思社、1997年、126頁。ISBN 4-7942-0796-4。
- ^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1924年4月26日(国立国会図書館デジタル化資料)
- ^ a b c d e f 『岐阜のチンチン電車 岐阜市内線と美濃町・揖斐・谷汲線の85年』郷土出版社、1997年、219-230頁。ISBN 4-87670-097-4。
- ^ 今尾恵介(監修)『日本鉄道旅行地図帳』 7 東海、新潮社、2008年、52頁。ISBN 978-4-10-790025-8。
- ^ 清水武、田中義人『名古屋鉄道車両史 下巻』アルファベータブックス、2019年8月、186頁。
参考文献
- 徳田耕一『名鉄600V線の廃線を歩く-惜別の“岐阜線”と空港線誕生』JTBパブリッシング〈JTBキャンブックス〉、2005年。ISBN 978-4-53305-883-7。
- 今尾恵介(監修)『日本鉄道旅行地図帳』 7 東海、新潮社、2008年。ISBN 978-4-10-790025-8。
- 『岐阜のチンチン電車 岐阜市内線と美濃町・揖斐・谷汲線の85年』郷土出版社、1997年。ISBN 4-87670-097-4。