広幡忠朝
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広幡 忠朝(ひろはた ただとも、1860年12月20日(万延元年11月9日[1])- 1905年(明治38年)1月12日[2])は、日本の陸軍軍人、政治家、華族。陸軍騎兵大尉、貴族院侯爵議員、侍従。
経歴
山城国京都で権大納言・広幡忠礼の長男として生まれる[1][3]。父の死去に伴い1897年3月13日に侯爵を襲爵し貴族院侯爵議員に就任[1][2]。
1875年12月、宮内省十等出仕を拝命[3][4]。以後、准奏任御用掛・侍従職勤務、侍従試補、侍従などを歴任[2][3]。また、1875年3月13日、陸軍騎兵中尉に任じられ、騎兵大尉に進んだ[2][3]。
栄典
- 位階
- 勲章
親族
脚注
参考文献
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』下巻、霞会館、1996年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 大植四郎編『明治過去帳』新訂初版、東京美術、1971年(原著私家版1935年)。
- 内閣(明治38年)「侍従陸軍騎兵大尉侯爵広幡忠朝特旨ヲ以テ叙勲ノ儀賞勲局総裁ヘ訓令ノ件」 アジア歴史資料センター Ref.A10112591700
日本の爵位 | ||
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先代 広幡忠礼 |
侯爵 広幡家第2代 1897年 - 1905年 |
次代 広幡忠隆 |