広幡増弥

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ひろはた ますや

広幡 増弥
生誕 広幡 増弥
1903年10月11日
東京都
死没 (1988-11-11) 1988年11月11日(85歳没)
国籍 日本の旗 日本
出身校 東京帝国大学造船科卒業
職業 実業家
配偶者 前妻:広幡信子
後妻:工藤静
子供 長男:広幡忠豊
次男:広幡忠恒
三男:広幡忠昌
養父:広幡忠隆
養母:広幡文子
父親:伊藤安吉
母親:吉田貴代
家族 祖父:伊藤雋吉
テンプレートを表示

広幡 増弥(ひろはた ますや、1903年明治36年)10月11日 - 1988年昭和63年)11月11日[1])は、日本の実業家海軍技術少将広幡家の第11代当主。東京都出身。父は伊藤安吉。養父は広幡忠隆

生涯[編集]

東京都出身。海軍軍人伊藤安吉とその妻で宮中顧問官・吉田要作の二女である貴代の次男として生まれる。東京帝国大学造船科を卒業後、海軍に入り海軍技術少将となる[2]

私生活では広幡忠隆の長女である信子と結婚し、広幡家の養子に入り11代当主となる。信子との間には3男を授かったが、1955年(昭和30年)に信子に先立たれ、後に工藤静と再婚した[3]

1988年昭和63年)、死去[2]

系譜[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 『平成新修華族家系大成』下巻(霞会館、1996年)p.430
  2. ^ a b 1955年,日刊海事通信社『海事人名録』
  3. ^ 1989年,日外アソシエーツ『日本著者名人名典拠録』