蓑輪三九馬
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蓑輪三九馬 みのわ さくま | |
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生年月日 | 1906年6月5日 |
没年月日 | 1999年2月21日(92歳没) |
死没地 | 日本 鹿児島県鹿児島市 |
出身校 | 海軍兵学校卒業 |
当選回数 | 5回 |
在任期間 | 1972年10月22日 - 1992年10月21日 |
蓑輪 三九馬 みのわ さくま | |
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所属組織 | 大日本帝国海軍 |
最終階級 | 海軍中佐 |
除隊後 |
伊集院町議会議員 伊集院町助役 伊集院町長 |
蓑輪 三九馬(みのわ さくま、1906年6月5日[1][2][3][4][注釈 1] - 1999年2月21日)は日本の政治家。伊集院町長(5期)、伊集院町議会議員。
経歴
海軍兵学校卒業[5]。海軍中佐、岩国航空隊指揮官、伊集院町議会議員、伊集院長助役などを歴任する[5][6][7]。
1972年伊集院町長選挙
1972年10月8日、伊集院町長選挙で新人を破って初当選を果たした[1][7]。
※当日有権者数:10,934人 最終投票率:82.14%(前回比:-pts)
候補者名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧別 | 得票数 | 得票率 | 推薦・支持 |
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蓑輪三九馬 | 66 | 無所属 | 新 | 5,463票 | 61.9% | - |
種子島秀夫 | 63 | 無所属 | 新 | 3,362票 | 38.1% | - |
同年10月22日、町長に就任した[8]。1976年9月25日、無投票で再選を果たした[2]。1980年9月28日、無投票で3選を果たした[3]。
1984年伊集院町長選挙
前回、前々回と違って選挙戦となったが、1984年9月30日に新人を破って4選を果たした[4]。
※当日有権者数:13,615人 最終投票率:59.95%(前回比:-pts)
候補者名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧別 | 得票数 | 得票率 | 推薦・支持 |
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蓑輪三九馬 | 78 | 無所属 | 現 | 5,920票 | 74.4% | - |
桂田成基 | 36 | 日本共産党 | 新 | 2,038票 | 25.6% | - |
1988年伊集院町長選挙
1988年9月25日、新人を破って5選を果たした[5][9]。
※当日有権者数:14,465人 最終投票率:75.48%(前回比:+15.53pts)
候補者名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧別 | 得票数 | 得票率 | 推薦・支持 |
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蓑輪三九馬 | 82 | 無所属 | 現 | 6,350票 | 60.6% | - |
吉村啓 | 50 | 無所属 | 新 | 4,125票 | 39.4% | - |
1991年12月19日、翌年10月の任期満了を持って退任する意向を表明した[7]。この頃には、全国最年長首長になっていた[7]。1992年10月21日、町長を退任した[8]。1999年2月21日、心筋梗塞のため鹿児島市内の病院で死去した[10]。
政策
脚注
注釈
- ^ 一部誤記と思われる典拠データがあるが、鹿児島県立図書館の表記を尊重する
出典
- ^ a b 鹿児島県選挙管理委員会『選挙の記録』 昭和47年、鹿児島県選挙局理委員会、鹿児島、1973年、13頁。
- ^ a b 鹿児島県選挙管理委員会『選挙の記録』 昭和51年、鹿児島県選挙管理委員会、鹿児島、1977年、17頁。
- ^ a b 『選挙の記録』 昭和55年 [2]、鹿児島県選挙管理委員会、鹿児島、14頁。
- ^ a b 『選挙の記録』 昭和59年、鹿児島県選挙管理委員会、鹿児島、16頁。
- ^ a b c “伊集院町長選挙開票結果”. 南日本新聞 (鹿児島): p. 1. (1988年9月26日)
- ^ “伊集院町長5選 県内現職最高齢82歳、蓑輪さん 任期中に"日本一"も 元気百倍、町政に意欲満々 作文ずき、町広報誌に連載中”. 南日本新聞 (鹿児島): p. 20. (1988年9月26日)
- ^ a b c d “全国最高齢の鹿児島県伊集院町の蓑輪三九町長が引退へ”. 西日本新聞: p. 2. (1991年12月20日)
- ^ a b 伊集院町誌編さん委員会『伊集院町誌』伊集院町、2002年、340頁。
- ^ “伊集院町長選 蓑輪氏、5選を果たす 新人吉村氏に2225票差 町議3人も誕生”. 南日本新聞 (鹿児島): p. 1. (1988年9月26日)
- ^ a b c “企画[死亡]蓑輪三九馬氏/前伊集院町⻑、全国最高齢の町⻑記録、92歳”. 南日本新聞 (鹿児島). (1999年2月22日)