秋永力
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秋永 力 | |
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生誕 |
1894年11月20日 日本 福岡県 |
死没 | 1978年12月26日(84歳没) |
所属組織 | 日本陸軍 |
軍歴 | 1916 - 1945 |
最終階級 | 陸軍中将 |
秋永 力(あきなが つとむ[1]、1894年(明治27年)11月20日[2] - 1978年(昭和53年)12月26日[2])は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
経歴
福岡県出身[1][2]。1916年(大正5年)5月、陸軍士官学校(28期)を卒業[3]。同年12月、歩兵少尉に任官[3]。1926年(大正15年)12月7日、陸軍大学校(38期)を卒業し[1][2]、第4師団参謀に発令された[4]。
1937年(昭和12年)10月、第6師団作戦主任参謀となり日中戦争に出征[1][2]。南京攻略戦、武漢作戦などを転戦[2]。1938年(昭和13年)7月、歩兵大佐に昇進し、同年12月、張鼓峰事件後に歩兵第75連隊長に就任[1][2]。1940年(昭和15年)3月、第13師団参謀長となり太平洋戦争を迎えた[1][2]。
1941年(昭和16年)10月、陸軍少将に進級[1]。1942年(昭和17年)8月、第57歩兵団長となり満州に赴任[1][2]。1943年(昭和18年)9月、第17軍参謀長に転任[1][2]。ブーゲンビル島の戦いに参戦[2]。1945年(昭和20年)3月、陸軍中将に進み、同年4月、第6師団長に親補され、米軍とブーゲンビル島で戦闘を交える中で終戦を迎えた[1][2]。