広地村
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ひろちむら 広地村 | |
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廃止日 | 1949年6月1日 |
廃止理由 |
国家行政組織法施行 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 樺太地方 |
都道府県 | 樺太庁 真岡支庁 |
郡 | 真岡郡 |
総人口 |
4,623人 (1941年12月1日) |
隣接自治体 |
真岡郡真岡町、清水村 本斗郡本斗町 留多加郡留多加町 |
広地村役場 | |
所在地 | 樺太庁真岡郡広地村 |
座標 | 北緯46度56分28.9秒 東経142度0分27.5秒 / 北緯46.941361度 東経142.007639度座標: 北緯46度56分28.9秒 東経142度0分27.5秒 / 北緯46.941361度 東経142.007639度 |
特記事項 | 1943年4月1日以降は北海地方に所属。 |
ウィキプロジェクト |
広地村(ひろちむら)は、日本の領有下において樺太に存在した村(指定町村)。
広地という地名は、アイヌ語の「ピーロ・チ」(ピーロという鳥の群棲している所)、「ピーチウ」(砂利の多い所)、「ピラ・オロ」(崖の所)による[1]。
当該地域の領有権に関する詳細は樺太の項目を参照。現在はロシア連邦がサハリン州プラウダ (Правда) として実効支配している。
概要
間宮海峡に面しており、樺太西線が村を走っていた。村内の多蘭泊に孵化場が存在した。
歴史
- 1915年(大正4年)6月26日 - 「樺太ノ郡町村編制ニ関スル件」(大正4年勅令第101号)の施行により行政区画として発足。真岡郡に所属し、真岡支庁が管轄。
- 1929年(昭和4年)7月1日 - 樺太町村制の施行により二級町村となる。
- 1943年(昭和18年)4月1日
- 「樺太ニ施行スル法律ノ特例ニ関スル件」(大正9年勅令第124号)が廃止され、内地編入。
- 指定町村となる。
- 1945年(昭和20年)8月22日 - ソビエト連邦により占拠される。
- 1949年(昭和24年)6月1日 - 国家行政組織法の施行のため法的に樺太庁が廃止。同日広地村廃止。
村内の地名
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([2])
地域
教育
以下の学校一覧は1945年(昭和20年)4月1日現在のもの[3]。
- 樺太公立苫舞国民学校
- 樺太公立広地国民学校
- 樺太公立大穂泊国民学校
- 樺太公立多蘭泊国民学校
脚注
- ^ 南樺太:概要・地名解・史実 p.318
- ^ 南樺太:概要・地名解・史実(西村いわお・著、高速印刷センター内出版部 1994年)より。
- ^ 北海道立教育研究所『北海道教育史 地方編2』(1957年)p. 1685