西園寺実材
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時代 | 鎌倉時代中期 |
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生誕 | 寛喜元年(1229年) |
死没 | 文永4年2月9日(1267年3月6日) |
官位 | 正二位、中納言 |
主君 | 後堀河天皇→四条天皇→後嵯峨天皇→後深草天皇→亀山天皇 |
氏族 | 西園寺家 |
父母 | 父:西園寺公経、母:舞女(実材母) |
兄弟 | 掄子、実氏、一条実有、洞院実雄、道融、四辻実藤、実材、女子、成子、実意、実助、尊恵、実顕、行安、慈助、実勝、三条実親室、嘉子、公子 |
西園寺 実材(さいおんじ さねき)は、鎌倉時代中期の公卿。太政大臣・西園寺公経の五男。母は『権中納言実材卿母集』の作者として知られる舞女(実材母として知られる)[1]。官位は正二位・中納言。権大納言・四辻実藤の同母弟。
経歴
[編集]以下、『公卿補任』、『尊卑分脈』の内容に従って記述する。
建長6年(1254年)12月7日、従三位に叙せられる。左中将は元の如し。正嘉元年(1257年)1月6日、正三位に昇叙。正嘉2年(1258年)1月13日、参議に任ぜられる。左中将は元の如し。同年5月14日、右兵衛督を兼ね検非違使別当に補せられる。11月1日、権中納言に昇任。正元元年(1259年)4月17日、右兵衛督と検非違使別当を辞す。この年に従二位に昇叙か。弘長2年(1262年)3月29日、正二位に昇叙[2]。文永2年(1265年)10月5日、中納言に転正。文永3年(1266年)10月24日、所労により中納言を辞退。文永4年(1267年)2月9日、薨去。享年39。