井上直幸
井上 直幸 | |
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生誕 | 1940年1月11日 |
出身地 | 日本 福岡県 福岡市 |
死没 |
2003年4月22日(63歳没) 日本 東京都 |
学歴 |
桐朋学園大学 シュトゥットガルト音楽大学 フライブルク音楽大学 |
ジャンル | クラシック音楽 |
職業 | ピアニスト |
担当楽器 | ピアノ |
井上 直幸(いのうえ なおゆき、1940年(昭和15年)1月11日 - 2003年(平成15年)4月22日)は、日本のピアニスト。
経歴
1940年(昭和15年) 福岡県福岡市に生まれる[1]。1960年(昭和35年) 桐朋学園大学短期大学部音楽学科卒業。大島正泰に師事[2]。1964年(昭和39年) シュトゥットガルト音楽大学入学。A.エアフルト、H.ロイターに師事[1]。1年後フライブルク音楽大学に移り、E.ピヒト=アクセンフェルトのもとで研鑽を積む。1969年(昭和44年)同大学を首席で卒業[1]。ケルンでデビュー・リサイタルを開いた後、ミュンヘン国際コンクール入賞。1970年(昭和45年)フライブルク音楽大学講師に就任。以降ヨーロッパ各地で多くの演奏会を行い、数々の放送にも出演[1]。1974年(昭和49年) 東京にてシェーンベルク生誕100年を記念してピアノ曲全曲演奏会を開催および録音を行い、高い評価を得る。これをきっかけに日本での積極的な演奏活動が開始され、1976年(昭和51年)に帰国後、NHK番組『ピアノのおけいこ』への出演、NHK交響楽団を始め主要なオーケストラとの共演、全国各地でのリサイタル、録音を行う。同年武庫川女子大学教授および桐朋学園大学講師に就任[1][2]。
1983年(昭和58年)にはヘルシンキ・フィルハーモニー管弦楽団と共演。1988年(昭和63年)に行ったソビエト連邦への演奏旅行では、その演奏が絶賛を博した[1]。
「音楽に対する深い洞察力」「自然で豊かな表現力」「色彩感に富んだ響き」など、ピアノ演奏に対して常に高い評価を得ていた。また、1998年(平成10年)に出版された著作『ピアノ奏法―音楽を表現する喜び』(春秋社)は、各方面より非常な好評を得、2000年(平成12年)にはビデオ版も発売された[1]。現在もDVDで入手可能である。
2003年(平成15年) 4月22日、東京都内の病院にて急逝[3]。63歳没。
著書
- ハイドンピアノ作品集 1 井上直幸(編集) 中野博詞(編集)(春秋社、1995年) ISBN 4393914430
- ハイドンピアノ作品集 2 井上直幸(編集) 中野博詞(編集)(春秋社、1995年) ISBN 4393914449
- ピアノ奏法―音楽を表現する喜び (春秋社、1998年) ISBN 4393937457
- 井上直幸ピアノ奏法 1 作曲家の世界 (春秋社、2000年) ISBN 439397011X
- 井上直幸ピアノ奏法 2 さまざまなテクニック (春秋社、2000年) ISBN 4393970128
録音
死去後17年たった2020年現在でも様々な音源を入手することが可能である。以下のなかには曲ごとにMP3でダウンロードできるものもある[4]。また、ソロ演奏だけでなくアンサンブルも得意としており、多くの録音を残している。
CD
- 『抒情のピアニスト・井上直幸の芸術』4枚組 BMG JAPAN
- 『象さんの子守歌』 カメラータ・トウキョウ
- 『ベートーヴェン:ディアベリ変奏曲』 カメラータ・トウキョウ
- 『バッハ-ベルク-武満』 カメラータ・トウキョウ
- 『ドイツ・ロマン派のピアノ音楽』2枚組 カメラータ・トウキョウ
- 『ベートーベン:ピアノソナタ第31番 / シューベルト:ピアノソナタ第21番』 カメラータ・トウキョウ
- 『モーツァルト:ピアノ・ソナタ集』 カメラータ・トウキョウ
- 『モーツァルト:ピアノ作品集』 フォンテック
- 『いと高き世界へ ハイドン、モーツァルト&シューベルト 井上直幸愛奏曲集』 フォンテック
- 『モーツァルト&シューベルト:4手のためのピアノ音楽』※竹内啓子との連弾 カメラータ・トウキョウ
- 『シューベルト:4手のためのピアノ音楽』※竹内啓子との連弾 カメラータ・トウキョウ
- 『モーツァルト:4手のためのピアノ音楽』※竹内啓子との連弾 カメラータ・トウキョウ
- 『デュオ・コンサート』室谷高広:ヴァイオリン 井上直幸:ピアノ ライヴノーツ
- 『ブラームス:チェロ・ソナタ 第2番&シューベルト:アルペッジョーネ・ソナタ』ワルター・ノータス:チェロ、井上直幸:ピアノ カメラータ・トウキョウ
- 『宮本文昭・オーボエの至芸』宮本文昭:オーボエ、井上直幸:ピアノ タワーレコード
- 『西田直孝 フルートリサイタル』西田直孝:フルート、井上直幸:ピアノ カメラータ・トウキョウ
- 『中山 節子 魂の歌 ハイドン・シューマン』中山節子:ソプラノ 井上直幸:ピアノ ナミ・レコード
- 『鬢多々良』 / 伊福部昭作品集 田村拓男(指揮)、野坂恵子、小林武史、日本音楽集団、梅村祐子、井上直幸
- 『シューベルト:室内楽全集3』5枚組 オムニバス カメラータ・トウキョウ
- 『世界の愛唱歌 ベスト』オムニバス ビクターエンタテインメント
- 『決定版 世界の愛唱歌』オムニバス ビクターエンタテインメント
- 『ローレライ/世界の愛唱歌』オムニバス ビクターエンタテインメント
- 『ピアノ名曲アルバム』オムニバス フォンテック
DVD
- DVDブック 井上直幸 ピアノ奏法(1) 作曲家の世界 春秋社 ISBN 978-4393970317
- DVDブック 井上直幸 ピアノ奏法(2) さまざまなテクニック 春秋社 ISBN 978-4393970324
エピソード
桐朋学園在学中からドイツ留学までの期間、慶應義塾ワグネル・ソサィエティー男声合唱団の練習ピアニストを務めていた。連日の練習から、合宿、演奏旅行等、常に団員と行動を共にし、同年代の団員達とお互いにニックネームで呼び合い、風呂で背中を流し合い、寝食を共にする、まさに「同じカマの飯を食った仲」であった。井上のニックネームは「ポンちゃん」。
井上の力量は、当時から木下保と畑中良輔に認められ、「本番も井上君がいいでしょう」ということになり、多くのステージで共演している。なお、当時畑中良輔が指揮したジプシーの歌(ブラームス)は福永陽一郎が絶賛している[5]。
1987年(昭和62年)第6回東西四大学OB合唱連盟演奏会(於:ザ・シンフォニーホール)で、慶應義塾ワグネル・ソサィエティーOB合唱団が畑中良輔指揮でジプシーの歌(ブラームス)を演奏した際、久しぶりに共演した井上と、OB団員達が「ポンちゃん!」と互いに抱き合う姿が見受けられた。
井上が逝去した際、その早逝を惜しんで、多くのOBが嘆き悲しんだ。
脚注
- ^ a b c d e f g “井上直幸”. CAMERATA TOKYO. 2020年2月14日閲覧。
- ^ a b 第6回東西四大学OB合唱連盟演奏会パンフレット(1987年)
- ^ 井上, 直幸. DVDブック ピアノ奏法(2) さまざまなテクニック
- ^ “Amazon.co.jp : 井上直幸”. www.amazon.co.jp. 2020年10月18日閲覧。
- ^ 舌鋒鋭い福永陽一郎をして「このごろは、コンクールに出るのが、必ずしも最上級ということではなくなって、そのかわり、慶應のワグネル・ソサィエティーの男声合唱団の演奏が、非常に高いレベルに達していることを、多くの人たちが認めて、男声合唱の標準が変わってきた(畑中良輔・福永陽一郎 “対談:学生合唱ひとすじに……”. 月刊『合唱界』1963年11月号)」と言わしめた。