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青木見典

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青木見典
時代 江戸時代中期
生誕 享保8年(1723年
死没 宝暦4年8月14日1754年9月30日
別名 内膳(通称
戒名 清涼院殿秋岳浄映大居士
墓所 東京都港区白金台の瑞聖寺
官位 従五位下内膳正
幕府 江戸幕府
主君 徳川家重
摂津麻田藩
氏族 青木氏
父母 青木一典青木一都
兄弟 一都見典一新加藤明義室、寅太郎、亀三郎、井上正岑下間頼寛下間仲一
一新
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青木 見典(あおき ちかつね)は、江戸時代中期の大名摂津国麻田藩の第7代藩主。官位従五位下内膳正

略歴

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享保8年(1723年)、第5代藩主・青木一典の次男として麻田にて誕生した。寛延2年(1749年)、先代藩主で兄の一都が嗣子なくして死去したため、その養嗣子となって翌寛延3年(1750年)2月19日に跡を継いだ。

宝暦4年(1754年)8月14日、死去。享年32。家督は弟の一新が継いだ。