コンテンツにスキップ

伊達村利

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。イルーゾォ (会話 | 投稿記録) による 2020年3月7日 (土) 10:52個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

 
伊達村利
時代 江戸時代中期
生誕 享保16年(1731年
死没 宝暦6年6月25日1756年7月21日
改名 亥之助(幼名)、村利
別名 景利、右近、主水
戒名 献厳俊宗大居士
墓所 岩手県奥州市の大安寺
主君 伊達宗村
陸奥仙台藩
氏族 水沢伊達家
父母 伊達村景、小幡治兵衛娘・須美
兄弟 村明村利、伏、薫、千久、喜和
石川村満娘・千重
村儀
テンプレートを表示

伊達 村利(だて むらとし)は、江戸時代中期の武士陸奥国仙台藩一門第三席水沢伊達家7代(留守氏24代)当主。

生涯

享保16年(1731年)、水沢伊達家6代当主・伊達村景の次男として誕生。幼名は亥之助

延享3年(1746年)5月、兄・村明の早世により嫡男となる。延享5年(1748年)5月18日元服。6代藩主・伊達宗村より偏諱を受け村利と名乗る。

宝暦3年(1753年)1月27日、父・村景の死去により家督を相続する。宝暦4年(1754年)5月、家臣の小姓番山崎為教(杢左衛門)が隠し念仏の導師として本藩に捕らえられ、磔となる事件が起こった。

宝暦6年(1756年)6月25日、死去。享年26。家督は嫡男・村儀が相続した。

系譜

出典

  • 『留守系譜』

その他

2016年4月15日に、水沢伊達家の菩提寺大安寺の墓地から、婚礼時に正室千重の使用した女乗物が出土した。

関連項目