烏森神社

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烏森神社


拝殿

地図
所在地 東京都港区新橋二丁目15番5号
位置 北緯35度40分0.41秒 東経139度45分24.46秒 / 北緯35.6667806度 東経139.7567944度 / 35.6667806; 139.7567944 (烏森神社)座標: 北緯35度40分0.41秒 東経139度45分24.46秒 / 北緯35.6667806度 東経139.7567944度 / 35.6667806; 139.7567944 (烏森神社)
主祭神 倉稲魂命
天鈿女命
瓊々杵尊
社格 旧村社 東京八大稲荷
創建 天慶3年(940年
別名 烏森稲荷
例祭 5月4日 - 6日
地図
烏森神社の位置(東京都区部内)
烏森神社
烏森神社
烏森神社の位置(日本内)
烏森神社
烏森神社
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烏森神社(からすもりじんじゃ)は、東京都港区新橋二丁目にある神社である[1]

祭神[編集]

倉稲魂命稲荷神)・天鈿女命瓊々杵尊を祀る。

歴史[編集]

社伝によれば、天慶3年(940年)、平将門が乱を起こした時、鎮守府将軍藤原秀郷(俵藤太)が武蔵国のある稲荷神社に戦勝を祈願したところ、白狐が現れて白羽の矢を秀郷に与えた。その矢によって速やかに乱を鎮めることができたので、それに感謝してどこかに稲荷神社を創建しようと考えていた所、秀郷の夢に白狐が現れ、神鳥が群がる場所が霊地であるとお告げした。秀郷が現在地である桜田村の森に来た所、お告げの通り烏が群がっていたので、そこに神社を創建したのが当社の始まりであるという。

江戸時代の稲荷ブームの際には、初午の稲荷祭の賑わいは《江戸で一二を争うものであった》という(境内案内板における山田將夫宮司の説明、1971年)

新橋には他に日比谷神社があり、大祭は日比谷神社と交互に隔年で行われる。当神社の大神輿は1930年に名人・山本正太郎(通称だし鉄)によって作られた巨大なもの。「だし鉄の最高傑作とも言われている」と境内案内チラシにある。

境内に木遣塚あり。また「心願色みくじ」なるものが頒布されている。

目黒区の烏森稲荷神社はこの神社の由来とされる。[2]

文化財[編集]

享徳4年(1455年)1鎌倉公方足利成氏が書いた神願書。翻刻すると《稲荷大明神神願書事 今度発向所願悉有成就者当社可遂修造願書之状 如件 享徳四年正月五日 左兵衛督源朝臣成氏》となる。

氏子地域[編集]

港区新橋一丁目1・2・13 - 18、二丁目1 - 16・地下街1号、三丁目1 - 21・25、四丁目1 - 4・28 - 31
港区西新橋一丁目3・7 - 24、二丁目1 - 15・20 - 27・36 - 39

交通アクセス[編集]

新橋駅烏森口より徒歩2分(経路案内)。

出典[編集]

  1. ^ 角川日本地名大辞典編纂委員会編『角川日本地名大辞典13 東京都』角川書店、1978年、1006頁
  2. ^ 神社メモ (2022年4月25日). “烏森稲荷神社 / 東京都目黒区”. 御朱印・神社メモ. 2024年1月26日閲覧。

関連項目[編集]

  • ウィキメディア・コモンズには、烏森神社に関するカテゴリがあります。

外部リンク[編集]