黄州郡

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黄州郡
位置
DPRK2006 Hwangbuk-Hwangju.PNG
各種表記
ハングル 황주군
漢字 黃州郡
発音 ファンジュン=グン
ローマ字転写 Hwangju-gun
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黄州郡(ファンジュぐん)は、朝鮮民主主義人民共和国黄海北道に属する郡。

地理[編集]

黄海北道の西北端に位置し、大同江に面する。

西に松林市、南に鳳山郡、東に燕灘郡、北に中和郡に隣接する。

行政区域[編集]

1邑・28里で構成される。

  • 黄州邑(ファンジュウプ)
  • 高淵里(コヨンリ)
  • 光川里(クァンチョンリ)
  • 九浦里(クポリ)
  • 金石里(クムソンリ)
  • 内外里(ネウェリ)
  • 大洞里(テドンリ)
  • 龍宮里(リョングンリ)
  • 龍川里(リョンチョンリ)
  • 三田里(サムジョンリ)
  • 三井里(サムジョンリ)
  • 三勲里(サムンリ)
  • 石山里(ソクサンリ)
  • 石井里(ソクチョンリ)
  • 蒜峯里(ソンボンリ)
  • 順天里(スンチョンリ)
  • 新上里(シンサンリ)
  • 外上里(ウェサンリ)
  • 雲城里(ウンソンリ)
  • 仁浦里(インポリ)
  • 長沙里(チャンサリ)
  • 長川里(チャンチョンリ)
  • 天柱里(チョンジュリ)
  • 鉄島里(チョルトリ)
  • 青龍里(チョンリョンリ)
  • 青雲里(チョンウンリ)
  • 沈村里(チムチョンリ)
  • 浦南里(ポナムリ)
  • 黒橋里(フッキョリ)

歴史[編集]

朝鮮王朝時代には、海州とともに黄海道の中心都市のひとつであった。

植民地期には、大同江に面した兼二浦が港湾・製鉄の中心として栄え、1930年に兼二浦邑に昇格した。兼二浦は、解放後の1947年に松林市として分離する。

年表[編集]

この節の出典[1]

  • 1914年4月1日 - 郡面併合により、黄海道黄州郡に以下の面が成立。(13面)
    • 黒橋面・九聖面・清水面・三田面・永豊面・斉安面・州南面・天柱面・青龍面・亀洛面・都峙面・仁橋面・松林面
  • 1929年 - 斉安面が黄州面に改称。(13面)
  • 1939年10月1日 - 黄州面が黄州邑に昇格。(1邑12面)
  • 1942年4月1日 - 松林面および九聖面・三田面の各一部が合併し、兼二浦邑が発足。(2邑11面)
  • 1945年光復直後 (13面)
    • 黄州邑が黄州面に降格。
    • 兼二浦邑が松林面に降格。
  • 1947年6月 - 松林面が市制施行し、松林市となり、郡より離脱。(12面)
  • 1952年12月 - 郡面里統廃合により、黄海道黄州郡黄州面・州南面・青龍面・三田面・永豊面・九聖面・清水面・黒橋面および天柱面の一部、平安南道中和郡中和面の一部地域をもって、黄海道黄州郡を設置。黄州郡に以下の邑・里が成立。(1邑24里)
    • 黄州邑・雲城里・新上里・蒜峯里・順天里・沈村里・九浦里・青龍里・三田里・鉄島里・長川里・三井里・大洞里・石山里・龍宮里・青雲里・三街浦里・石井里・黒橋里・高淵里・龍川里・金沙里・内外里・三勲里・天柱里
  • 1953年 (1邑26里)
    • 三街浦里が分割され、仁浦里・光川里が発足。
    • 金沙里の一部が分立し、金石里・長沙里が発足。
    • 金沙里の残部が平安南道中和郡館峯里に編入。
  • 1954年10月 - 黄海道の分割により、黄海北道黄州郡となる。(1邑26里)
    • 沈村里の一部が黄海北道鳳山郡龍林里に編入。
    • 黄海北道松林市新両里の一部が三田里に編入。
  • 1956年 (1邑28里)
    • 内外里の一部が分立し、外上里が発足。
    • 九浦里の一部が分立し、浦南里が発足。
    • 九浦里の一部が鳳山郡鳳儀里に編入。
  • 1961年 - 燕灘郡陵山里の一部が雲城里に編入。(1邑28里)

交通[編集]

外部リンク[編集]

  1. ^ 황해북도 황주군 역사