高橋弘厚

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
 
高橋 弘厚
時代 戦国時代
生誕 文明13年(1481年
死没 享禄2年(1529年
氏族 高橋氏
父母 父:高橋久光
兄弟 弘厚重光
興光

高橋 弘厚(たかはし ひろあつ)は、戦国時代武将

文明13年(1481年)、高橋久光の次男として生まれる。明応3年(1494年)ごろまでには元服し、大内政弘より偏諱を受けて弘厚と名乗ったものと思われる。

永正12年(1515年)に長兄の高橋元光(もとみつ)が戦死すると、父・久光の命令で弘厚の子である興光が高橋家の後継者となった。大永元年(1521年)に久光も戦死すると、興光の後見人として高橋氏の存続に尽力した。

しかし享禄2年(1529年)、高橋氏の征服を謀る毛利元就によって、子の興光と共に殺害された。これにより、石見高橋氏の嫡流は断絶した。

なお、石見高橋氏の系図には疑問点が多く、一説では弘厚とその弟とされている高橋重光(しげみつ)は同一人物という説があり、定かではない。ちなみに重光も元就によって殺されている。

関連項目[編集]