高森城 (伊予国喜多郡)

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高森城
愛媛県
別名 鍛冶谷城
城郭構造 山城
主な城主 梶谷景則、梶谷景雄
廃城年 天正13年(1585年
位置 北緯33度30分15.0秒 東経132度30分32秒 / 北緯33.504167度 東経132.50889度 / 33.504167; 132.50889
地図
高森城の位置(愛媛県内)
高森城
高森城
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高森城(たかもりじょう)は、愛媛県大洲市にあった日本の城山城)。

概要[編集]

平地川北岸の標高190mの高森山山頂にあり、東西35m、南北43mの規模だった。

宇都宮房綱がいた萩森城の支城で、天文年間には家臣・梶谷伊豆守景則の居城となった。天正4年(1576年)に大野直之によって当城を奪われた伊豆守は中務少輔景雄直右衛門景晴修理亮良景の三兄弟を連れて脱出し、湯築城河野通直の元へ逃れた。 景則は息子たちに城を奪還することが最大の供養と言い残し、息を引き取ったが、天正6年(1578年)には3人の息子達が風雨に紛れて奇襲し、城を奪還して河野通直から感状を受けている。 天正13年(1585年)の四国の役小早川隆景の進攻を受けて開城し、廃城となった。

参考文献[編集]

関連項目[編集]