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舘豊夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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たて とよお

舘 豊夫
生誕 (1920-01-03) 1920年1月3日
日本の旗 日本東京府東京市麹町区(現・東京都千代田区平河町
死没 (1998-04-09) 1998年4月9日(78歳没)
出身校 東京帝国大学経済学部
職業 実業家
舘香緑・すえ
栄誉 藍綬褒章(1987年)
勲二等旭日重光章(1992年)
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舘 豊夫(たて とよお、1920年(大正9年)1月3日 - 1998年(平成10年)4月9日)は、日本実業家三菱自動車工業社長。

来歴・人物

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大日本炭鉱の専務を務めた舘香緑・すえ夫妻の四男として、東京府東京市麹町区(現・東京都千代田区平河町)に生まれる。舘家は、旧伊勢国桑名藩士の家柄で、陸地測量師の館潔彦は祖父。

旧制東京高校東京帝国大学経済学部を卒業後、1942年三菱重工業に入社[1]三菱商事への出向時代には造船の営業を担当[1]

1970年6月、三菱重工と米・クライスラーとの合弁で発足する三菱自動車工業に移籍[1]1977年、取締役に選任され、常務を歴任後、1983年に社長となる。トップ時代には1988年に三菱自動車を東証1部に上場させ、「三菱自動車中興の祖」と呼ばれる。のちにクライスラーとの資本提携を解消し、同社の自立に尽くした[1]

親族

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豊夫は5人兄弟の末っ子で、3人の兄と1人の姉がいる。兄・稲麻呂(香緑の三男)は大昭和製紙の創業者・齊藤知一郎の長女と結婚し、大昭和製紙の代理店・日昭物産(その後コミネ日昭を経て日本紙通商となる)の社長を務めた。稲麻呂の長女がトランスワールドインダストリー社長・渡辺紀久男に嫁いだが、紀久男の弟が岩崎忠雄の婿養子となったため、舘家は渡辺家を通じて三菱財閥の創業者・岩崎家と姻戚関係で結ばれた。また豊夫の姉・久楽子は元山下汽船常務・漆野寿一の弟・東吉(元一興産業社長)に嫁ぎ、東吉との間に1男1女をもうけた。

略歴

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  • 1920年1月3日:生まれる。
  • 1942年:東京帝国大学経済学部を卒業後、三菱重工業に入社。
  • 1965年:三菱商事に移籍。
  • 1970年6月1日:三菱重工と米・クライスラーとの合弁で発足する、三菱自動車工業に移籍。
  • 1971年:三菱自動車総務部長に就任。
  • 1974年:企画経理本部企画部長に就任。
  • 1977年:取締役に就任。
  • 1979年:常務に就任。
  • 1983年:社長に就任。
  • 1989年:会長に退く。
  • 1992年:勲二等旭日重光章受章[2]
  • 1993年:相談役に退く。
  • 1995年:取締役を辞任。
  • 1998年4月9日:78歳にて没。

著書

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脚注

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  1. ^ a b c d 舘 豊夫 タテ トヨオ”. コトバンク 20世紀日本人名事典. 2024年7月19日閲覧。
  2. ^ 「92年秋の叙勲=勲三等以上および在外邦人、帰化邦人、外国人受章者」『読売新聞』1992年11月3日朝刊
先代
東條輝雄
三菱自動車工業社長
第5代:1983年 - 1989年
次代
中村裕一