飯川光誠

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飯川 光誠(いがわ みつのぶ、生没年不詳)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将能登畠山氏の家臣。半隠斎宗春(畠山義総寵臣)の一族の人物。通称は新次郎。受領名若狭官途名大炊助主計助。法名は宗玄。

天文22年(1553年)、光誠は第二次畠山七人衆で年寄衆に加わる。弘治の内乱では畠山義綱と土豪衆との仲介役を務め、義綱専制期では側近として義綱を補佐する。永禄九年の政変1566年)で義綱が能登から追放された時も、義綱に追従して近江国に逃れ義綱勢力の中枢を担った。

元亀4年/天正元年(1573年)、出家して若狭入道宗玄と号した。