須川邦彦

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須川 邦彦(すがわ くにひこ、1880年 - 1949年)は、日本の船舶関係者、著作家。

経歴[編集]

1880年(明治13年)年、東京に生まれる。1905年(明治38年)、東京商船学校航海科を卒業後、大阪商船に入社する。日露戦争では水雷敷設隊として、第一次世界大戦では船長として参戦した[1]。1918年(大正7年)、商船学校教授を拝命、翌年からは東京帝国大学講師を兼任、1921年(大正10年)には欧米に留学した[2]。1936年(昭和11年)、東京高等商船学校校長となり、翌年退職、他に海洋文化協会常務理事、高等海員審判所審判官なども務めた[3]。趣味は象の研究。1949年(昭和24年)死去。

著書[編集]

著書については国立国会図書館のNDL ONLINEの検索結果を元に記述した。

  • 『戦時に於ける商船の自衛』損害保険事業研究所、1935
  • 『船は生きてる』天然社、1941.5
  • 『象の話』桑文社、1942.11
  • 『海に生きるもの』 天然社、1942.12
  • 『海洋日本』童話春秋社、1943.4
  • 『無人島に生きる十六人』大日本雄辯會講談社、1943.6
  • 『闘ふ日本の船』大東亞社、1943.11
  • 『戦力と船力』羽田書店、1944.2
  • 『象をたずねて』大日本雄弁会講談社、1948.3
  • 『海の信仰(上・下)』 海洋文化振興、1954,1956
  • 『海の若人』海洋文化振興、1955.2

無人島に生きる十六人[編集]

月刊少年雑誌「少年倶楽部」1941年10月から翌年10月まで海洋事実物語として連載された作品(挿画は北宏二)で、最初の単行本は1943年に「少國民の日本文庫」の一冊として発行され、その年の「野間文芸奨励賞」を受賞した。その後も、

  • 『無人島に生きる十六人:海洋冒険物語』大日本雄弁会講談社、1948
  • 『無人島に生きる十六人:海洋冒険物語』松田穰絵、講談社北海道支社、1949
  • 『無人島に生きる十六人』 (少年少女評判読物選集) 村上松次郎絵、講談社、1952
  • 「無人島に生きる十六人」『少年倶楽部名作選2 長編・中編小説集』、加藤謙一編、講談社、1966
  • 『無人島に生きる十六人』(少年少女講談社文庫)中村英夫絵、講談社、1972
  • 『無人島に生きる十六人』新潮社 新潮文庫、2003.7

と版を変えて、長きに渡り読み継がれている。

脚注[編集]

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  1. ^ 須川邦彦 | 著者プロフィール | 新潮社
  2. ^ 『海に生きるもの』(天然社、昭和17年発行)巻頭の著者略歴より
  3. ^ 『象の話』(桑文社、昭和17年発行)巻末の著者紹介より