隠密

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隠密(おんみつ)とは、主君などの密命を受けて秘かに情報収集などに従事する者。古くは忍者と同一であったが、近世に入ると忍者に限定されなくなる。

概要[編集]

隠密は南北朝時代から存在したが、隠密が「忍びの者」すなわち忍者として活躍したのは戦国時代である。特に伊賀者甲賀者は著名である。伊賀者は徳川家康伊賀越えを助けたことから、江戸幕府成立後に幕府に登用され隠密としての職務を掌った。だが、一方では忍者以外の隠密も用いられるようになった。

多くの隠密を用いたのは徳川家光徳川家綱時代の老中松平信綱大目付中根正盛である。特に中根は配下の廻国者で組織している隠密機関を幕閣という政府組織の一角に機関として組織化した。慶安の変の際には、隠密機関の活躍により武功派で幕閣に批判的であったとされる紀州藩主徳川頼宣を幕政批判の首謀者とし失脚させ、武功派勢力を崩壊に追い込んだ [1]

代表的なものは、徳川吉宗が紀州藩より連れてきた御庭番である。御庭番は公式には江戸城の奥庭を管理する役職であったが、実際には将軍や老中以下幕閣の命を受けて隠密活動に従事した。

他にも目付支配下の徒目付小人目付勘定奉行支配下の普請役鳥見役人などが隠密活動に従事していた。彼らは身分的には低かったが、植村政勝村垣範正など御庭番出身で歴史に名を残した人物も存在する。また、間宮林蔵も晩年は幕府の隠密になったとされ、竹島事件シーボルト事件などに関与したといわれている。また、町奉行同心が行っていた三廻のうちに江戸市中の風説を調査する「隠密廻」が存在していた。諸藩においても下級武士などが隠密役に任じられて領内外の情勢を探らせた。

参考文献[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 幕府不満の弾圧に利用された由井正雪の叛乱計画