阿部政太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
阿部政太郎

阿部 政太郎(あべ まさたろう、1859年12月24日安政6年12月1日[1]) - 1934年昭和9年)10月4日[2])は、青森市長衆議院議員立憲政友会)。号は波城。

経歴[編集]

陸奥国南津軽郡浪岡村(現在の青森県青森市)出身。1878年明治11年)、青森県師範学校予科を卒業し、小学校教員となった。ついで青森県医学校監事補、青森県御用掛を務めた。その後、官を辞して上京し、明治法律学校(現在の明治大学)で学んだ。

帰郷後、南津軽郡会議員に選出され、さらに青森県会議員に選出された。1908年(明治41年)、第10回衆議院議員総選挙に出馬し、当選した。その後、1917年大正6年)と1925年(大正14年)の2度青森市長に選出された。

親族[編集]

5男6女の子宝に恵まれ、その末の子供に洋画家阿部合成[3]、甥(政太郎の妹みさほの子)に同じく洋画家の常田健がいる[4]

脚注[編集]

  1. ^ 衆議院『第二十五回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報号外〉、1908年、18頁。
  2. ^ 衆議院事務局『衆議院議員略歴 第一回乃至第二十回総選挙』、1940年
  3. ^ 針生一郎 『修羅の画家 評伝阿部合成』 岩波書店〈同時代ライブラリー41〉、1990年11月15日、pp.33-34。ISBN 4-00-260041-6
  4. ^ 浪岡町史編纂委員会編纂 浪岡町編集委員会(町史編さん室)編集 『浪岡町史 第四巻』 浪岡町、2004年12月15日、p.313。

参考文献[編集]

  • 高谷繁太郎・江馬英三郎編『大正四年特別大演習記念 青森県名鑑』青森県行幸記念協会、1917年。


公職
先代:
工藤卓爾
Flag of Aomori, Aomori.png 青森市長
第7代:1917年 - 1919年
次代:
工藤卓爾
先代:
工藤卓爾
Flag of Aomori, Aomori.png 青森市長
第9代:1925年 - 1926年
次代:
中野浩