コンテンツにスキップ

長谷部宏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

長谷部 宏(はせべ こう、コ―・ハセベ、1930年4月29日 - )は日本写真家。本名:長谷部 欣宏(はせべ よしひろ)[1][2]

東京都出身。1960年代から1990年代まで多くの洋楽ミュージシャンを撮影。日本人カメラマンとしては初めてビートルズを1965年に撮影している。

経歴

[編集]

東京都墨田区にて出生。学生時代から、写真関連の仕事をしていた姉の夫の手伝いなどをしていた。周囲の勧めもあり、東京写真専門学校(現東京工芸大学)に進学する。

1951年に東京写真専門学校を卒業。近代映画社でカメラマンを務める。上原謙原節子美空ひばり坂本九といった日本映画界、音楽界を代表するスターたちや、1954年2月に訪日したマリリン・モンローを撮影する[3]。同時期に、音楽雑誌「ミュージック・ライフ」の依頼でポール・アンカルイ・アームストロングといった洋楽ミュージシャンたちの撮影も行なった。

1964年に映画雑誌「スクリーン」の特派員として渡仏。フランス滞在中に新興楽譜出版社(現シンコーミュージック・エンタテイメント)の草野昌一とパリのカフェで偶然再会[1]。その後「ミュージック・ライフ」にビートルズの撮影を依頼される[4]

「ミュージック・ライフ」編集長・星加ルミ子の単独取材に同行しアビー・ロード・スタジオにて日本人カメラマンとしては初めてビートルズを1965年6月15日に撮影[5]。帰国して「ミュージック・ライフ」の専属カメラマンとして活躍。1966年のビートルズの日本公演と最終アメリカ公演にも同行し1968年まで毎年撮影。アメリカ公演取材中にテネシー州知事から、草野昌一と星加ルミ子とともに「テネシー州名誉市民証」を授与されている[4]

1990年代の終わりまでにビートルズ、ローリング・ストーンズクイーンデュラン・デュランブラーなど、主に海外のロックミュージシャンたちを撮影し続けた[1][6]

写真集

[編集]
  • 『小さな世界の大きな巨人たち―長谷部宏写真集』新興楽譜出版社 1975.
  • 『ディープ・パープル写真集―写真と詩が交錯するディープ・パープルの世界 (ロック・アーティスト写真集〈1〉)』(宮坂恵子、山本安見共著) 新興楽譜出版社 1976.12
  • 『ホワイトスネイク写真・詩集魂』(山本安見共著) 新興楽譜出版社 1981.1
  • 『ROCK PIX 本田恭章(特大カラー・ポスター付)』 シンコー・ミュージック 1984.5
  • 『ロック・ショット』 シンコー・ミュージック 1984.7
  • 『メタル ショット―魂の乱舞Heavy metal warriors』 シンコー・ミュージック 1984.9
  • 『(ムック)ザ・ビートルズ1965・1966・1967(シンコー・ミュージックMOOK 60) 』 シンコー・ミュージック 1998.12.10
  • 『ロック50の肖像』 シンコー・ミュージック 1998.12.10
  • 『長谷部宏写真集 THE BEATLES in MY LIFE(Shinko music mook)』 シンコー・ミュージック 2002.3.14
  • 『フォト・ライブラリー・シリーズ クイーン』 シンコー・ミュージック 2008.9.30
  • 『BON JOVI Unforgettable Days 』(デヴィッド・タン共著) シンコーミュージック 2010.11.15
  • 『ロックンロール・フォトグラフィティ 長谷部宏の仕事』(赤尾美香共著) シンコーミュージック 2013.3.30
  • 『ROCK STARS WILL ALWAYS LOVE JAPAN』 シンコーミュージック 2016.1.15[2]
  • 『ROCK THE BEST 長谷部宏写真集』 シンコーミュージック 2019.3.30
  • 『ROCK THE BEST 長谷部宏 写真集 PREMIUM EDITION』 シンコーミュージック 2021.4.28[7]

脚注

[編集]

参考文献

[編集]
  • 赤尾美香/長谷部宏『ロックンロール・フォトグラフィティ 長谷部宏の仕事』シンコーミュージック、2013年4月19日。ISBN 978-4-401-63805-5 
  • 『ビートルズの軌跡』新興楽譜出版社、1976年7月1日。ISBN 978-4-401-61004-4 

関連項目

[編集]