長州藩諸隊
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長州藩諸隊(ちょうしゅうはんしょたい)とは、幕末期に長州藩で編成された、藩士以外の様々な身分の者からなる部隊を総称したもの。長州諸隊。
歴史[編集]
文久3年(1863年)6月、長州藩の軍事体制を強化するため、高杉晋作により、身分を問わない奇兵隊が結成されると、それに触発されて農民、町人、漁師、猟師、穢多、神官、力士、僧侶など藩士以外の様々な身分の者からなる義勇軍的な部隊が数多く結成され、その数は百を超えた。
元治元年12月15日(1865年1月12日)、高杉晋作が決起(功山寺挙兵)すると、奇兵隊、御楯隊など多くの諸隊が呼応して俗論党と戦って勝利し、藩論を尊皇倒幕に導くことに貢献。
慶応元年3月(1865年3月)、長州藩政府は諸隊を整理統合し藩の正規軍として公認。俸給、武器弾薬等を支給して、総定員を1,500名に制限して統制を図った。
慶応2年(1866年)の第二次長州征討に対しては、各方面で幕府軍と戦い、これを撃退する。
その後、倒幕軍の中核として戊辰戦争を通じて活躍したが、戦争終結後、隊員を削減されるなどの冷遇に不満を募らせた隊士らの一部が反乱(脱隊騒動)を起こし、鎮圧されるなどした。
主な諸隊[編集]
- 奇兵隊
- 第二奇兵隊(南奇兵隊)
- 御楯隊
- 遊撃隊
- 報国隊
- 鴻城隊
- 南園隊
- 亀山隊
- 膺懲隊
- 集義隊
- 八幡隊- 八月十八日の政変後に帰郷した堀真五郎や久坂玄瑞により創設された。「やはた」隊と読む[2]。
- 酬恩隊
- 力士隊 - 功山寺挙兵後の翌年に正規軍となり、長府藩の正規軍である報国隊の下に付属した盤石隊となる。
- 忠憤隊
- 衛撃隊
- 干城隊 - 大組(八組)の家臣(武士)によって編成された諸隊。「かんじょう」隊と読む[3]。
など
参考文献[編集]
- やすおか史誌編輯委員会編、『やすおか史誌』、下関市安岡合併五十周年実行委員会、1990年。
脚注[編集]
- ^ a b c 【花燃ゆ維新伝(22)】人材豊富で組織力も団結力も…「長州藩」は薩摩と並ぶ西南屈指の藩 - 産経ニュース 2015年5月10日
- ^ 山口市の幕末維新の歴史|幕末の舞台|諸隊の雄・八幡隊結成場所 - 大内文化まちづくり(山口市文化政策課)
- ^ 長州藩諸隊 - 日本大百科全書(コトバンク)
- ^ 【小野田公民館】第2回歴史講座・花燃ゆ編の様子 - 山陽小野田市小野田公民館