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金子寛治

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
金子寛治
Hiroharu KANEKO
引退
日本語 金子寛治
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1967-11-22) 1967年11月22日(57歳)
出身地 東京都
身長(現役時) 193cm (6 ft 4 in)
選手経歴
1990-1999
1999-2001
NKKシーホークス
ボッシュブルーウィンズ
獲得メダル
日本の旗 日本
バスケットボール
アジア競技大会
1994 広島 男子

金子 寛治(かねこ ひろはる、 (1967-11-22) 1967年11月22日(57歳) - )は、日本の元バスケットボール選手、指導者。東京都出身。身長193cm。

来歴

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バスケットボールの名門 秋田県立能代工業高等学校から筑波大学を経て、NKKに入社。バスケットボール部に入部し、全日本実業団選手権連覇に貢献。

全日本にも選ばれ、1994年には広島アジア大会で主将を務めた。

休部後、ボッシュブルーウィンズに移籍。

引退後は愛知学泉大学の系列校である安城学園高等学校(愛知県)の教員となり、バスケットボール部の監督を務め 全国大会へ導くなど実績を残している。

2022年、Wリーグに属する山梨クィーンビーズのヘッドコーチに就任[1]

2023年退任[2]

その他

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筑波大の同期にサッカーの井原正巳中山雅史、バレーボールの中垣内祐一らがおり、彼らと「全日本会」なるグループを結成していた[3]

脚注

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関連項目

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