野田鞆雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

野田 鞆雄(のだ ともお、1882年明治15年〉9月 - 没年不詳)は、日本の法律家、朝鮮総督府官僚佐賀市長

経歴[編集]

佐賀県に藤井鴻雲の二男として生まれ、野田常貞の養子となった。1909年(明治42年)に東京帝国大学法科大学独法科を卒業した。統監府検事、ついで朝鮮総督府検事となり、京城地方法院検事、大邱覆審法院検事、釜山地方法院検事、京城覆審法院検事、同地方法院検事を歴任した。1922年大正11年)、府道事務官に転じ、忠清南道警察部長、咸鏡北道警察部長、全羅北道内務部長、黄海道内務部長を歴任した。

1929年(昭和4年)に退官し、1931年(昭和6年)に佐賀市長に選出された。市長退任後は、奉天高等検察庁次長を務めた[1]

参考文献[編集]

  1. ^ 満洲日日新聞社 1937, 110頁.