野崎城 (河内国)

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野崎城
大阪府
野崎城の本曲輪跡
野崎城の本曲輪跡
別名 野崎城
城郭構造 山城
天守構造 なし
築城主 畠山氏
築城年 室町時代
主な改修者 不明
主な城主 畠山尚順
廃城年 天正4年(1576年)か
遺構 削平地、曲輪
指定文化財 なし
再建造物 なし
位置 北緯34度43分11.52秒
東経135度38分45.829秒

野崎城(のざきじょう)は、大阪府大東市にあった日本の城

概要[編集]

野崎城は、慈眼寺(野崎観音)の裏山に築かれた城で、標高114.4mの山頂に本曲輪の削平地を構築した。また飯盛山の東の支脈の突き出した場所で、平地が狭かったことから、交通の便、天然の要害で古くから戦略上の要点とされてきた。

慈眼寺から飯盛山城に向かう登山道にこの野崎城が位置する。

沿革[編集]

河内国守護畠山氏の内紛の際、畠山尚順が立てこもる野崎城に畠山義豊が攻めた、という記述あるのみで、歴史については不明な点が多い。河内国の北半分の拠点であった若江城支城として、守護代遊佐氏が守っていたのではないかという説もある。

飯盛山城が築城後は、東高野街道から飯盛山城に向かう推定の大手通り上に野崎城があるため、むしろ飯盛山城の支城となったのではと考えられている。野崎城に関する築城、廃城が記載された文献は残されていないが、廃城に関しては、飯盛山城と同時期天正4年(1576年)ではないかと推定されている。

城郭[編集]

山頂に本曲輪を設け、その東側に10m以上の堀切を配し、本曲輪の西と北に出曲輪、更に西の山麓の傾斜添いに3段にわたる4つの曲輪を設けている。

城跡へのアクセス[編集]

野崎城への登山道入口

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]