趙姫 (荘襄王)

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趙姫
王妃

敬称 帝太后
出生 紀元前280年
死去 紀元前228年
配偶者 荘襄王
子女
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趙姫(ちょうき、紀元前280年 - 紀元前228年)は、中国戦国時代王妃。姓およびは共に不明である。

概要[編集]

史書によるとの出身であった(そのために趙姫と呼ばれた)。彼女は元々踊り子(娼婦とも)で、後に当時は商人であった呂不韋の妾となったが、秦の王子であった子楚に乞われて、自分の妾であること隠して妃として差し出した。紀元前259年に政(のちの始皇帝)を生んだが、呂不韋との間に既に子を宿していたとも言われる。

紀元前250年に秦に入国した。紀元前249年に子楚が荘襄王として秦王に即位して王后紀元前246年に荘襄王が死去して政が秦王になると王太后となった。史記などによれば彼女は淫乱とされており、秦の丞相に就任していた呂不韋や偽宦官として後宮に入った嫪毐密通し、嫪毐との間には2人の息子が生まれた。ただし、これらは事実でないとも、当時の秦の道徳観では問題がない行為という説もある。

紀元前238年嫪毐クーデターを決行したが失敗すると、激怒した政により嫪毐および嫪毐との間の2人の息子は処刑され、彼女は雍城中国語版に幽閉されたが、後に許され王城に戻った。紀元前228年に死去し、帝太后を追号された。享年53。