西郷忠員

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西郷忠員
時代 安土桃山時代
生誕 元亀元年(1570年
死没 慶長6年5月27日1601年6月27日
別名 孫九郎(通称)
戒名 得巌
主君 徳川家康
氏族 西郷氏
父母 父:西郷家員、母:西郷義勝の娘
兄弟 近藤忠吉忠員康員正員
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西郷 忠員(さいごう ただかず)は、安土桃山時代武将西郷家員の次男。兄・忠吉は庶子だったので近藤秀用の養子とされ、忠員が嫡男とされた。

文禄4年(1595年)、徳川秀忠の御前において大久保忠常たちと一緒に元服。秀忠から一字拝領の上、左文字の脇差を賜った。

慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは武者奉行を拝命している。決戦の後、近江佐和山城の城地受け取りを内藤信正石川康通らと務めている。翌慶長6年(1601年5月27日に佐和山城内で死去。実子が無く、弟の康員を跡目とした。