西大寺 (旧市域)

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西大寺
さいだいじ
日章旗 日本
地方 中国地方山陽地方
中国・四国地方
都道府県 岡山県
自治体 岡山市
行政区 東区
旧自治体 西大寺市
面積
91.08km²
世帯数
25,574世帯
総人口
66,848
登録人口、2010年9月30日現在)
人口密度
733.95人/km²
隣接地区 同区内
 上道瀬戸
区外
 同市中区、同市北区(牟佐)
 瀬戸内市赤磐市備前市
 海洋上にて隣接
 同市南区(小串)、土庄町
岡山市東区役所西大寺本庁
岡山市東区役所西大寺本庁
北緯34度39分4.0秒 東経134度1分46.0秒 / 北緯34.651111度 東経134.029444度 / 34.651111; 134.029444座標: 北緯34度39分4.0秒 東経134度1分46.0秒 / 北緯34.651111度 東経134.029444度 / 34.651111; 134.029444
所在地 〒704-8555
岡山県岡山市東区西大寺南一丁目2番4号
リンク 西大寺本庁公式ページ
西大寺の位置(岡山県内)
西大寺
西大寺
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西大寺(さいだいじ)は、岡山県岡山市東区にある広域地区である。同区役所の本庁管轄域であり、岡山市に編入合併した旧西大寺市域に相当する。いわゆる「広義の西大寺」にあたる。

地域の中心市街地は、古くから西大寺の門前町として栄え、毎年2月に同寺院で開催される日本三大奇祭の一つ「裸祭西大寺会陽)」で知られる。

なお、同市北区の中心市街地には、当地に由来する西大寺町新西大寺町という地区がある(詳細は岡山表町商店街を参照)[1][2]

本項ではかつて同地域に所在した西大寺市についても述べる。

概要[編集]

1969年(昭和44年)に西大寺市が岡山市に編入合併したときの市域にあたり、政令市施行前までは旧西大寺市役所が西大寺支所として管轄した。政令市移行後は同支所が東区の区役所(本庁)となり、さらに2014年(平成26年)11月25日には区役所が移転開設され[3]、当地は本庁の直轄となっている。

当地は吉井川を中心に川の東西にエリアが広がる。西大寺市以前は吉井川東岸は邑久郡、西岸は上道郡上東郡)であった。人口は西岸の方に偏っている[4]

当地の中枢は河口西岸に位置する西大寺・金岡であり、古くは金岡庄という荘園があった。この地区は中世から近世にかけて金岡湊の港町、および西大寺の門前町として商工業の発展した地域であった歴史の古い地区である。また、吉井川の高瀬舟と瀬戸内海の廻船との物資の集散地としても栄え、現在の西大寺市街地の基盤となった[4]。明治以降、西大寺門前町には商店街が生まれ、それを中心に市街地が形成され周辺の経済の中心として賑わいをみせる。しかしモータリゼーションを中心とした生活に変化していくにつれ、市街地周囲の農地が区画整理され、道路網も整備、次第に商店や企業が周辺地に移転していき、商店街を中心とした市街は活気を失い、市街地としての機能は周辺地に奪われた形となる[5]。その一方で、中心地は昔ながらの門前町や港町のたたずまいを残した風情ある町並が残っており、映画『ALWAYS 三丁目の夕日』などの撮影地にもなった。

当地中南部には広大な平地が広がるが、大半は古来は海域であり、近世における干拓された新田地帯である。吉井川西岸は上道沖新田、東岸には幸島新田などが造成されている。かつては米の他、ムギ、綿花、イグサなどが主産物であった。特に綿花とイグサは紡績やイグサ製品などの関連加工業も栄え、前述の西大寺・金岡を拠点に各地へ売られた。しかし、近代になると綿花は衰退していき、イグサも昭和期に農家の兼業化により激減した。現在の新田地帯は幹線道路が整備され、周辺は郊外型の市街と変貌し、商店・企業・宅地が立地。農地もいまだ多い地区も多数あるものの、大半が米作中心となっている。さらには沿岸部には企業団地も造成され、様相が一変した[5]

現代において、西大寺は岡山市東部の拠点地区としての地位を占め、副都心的な存在のエリアとなっている[4]

従来からの九蟠地区工業地帯のほか、2001年8月に完成した東部クリーンセンター(豊地区)の周辺に流通センターなどが進出中。カネボウ西大寺工場跡地の活用問題や中心部商店街の衰退などが、現在の懸案事項である。

岡山市を代表する企業である両備ホールディングス天満屋はこの西大寺が発祥地である。両備ホールディングスの方は現在も西大寺バスセンターが登記上の本店としての機能を果たしており、隣接して両備プラッツ西大寺店が立っている。また天満屋の方は現在は天満屋ハピータウン西大寺店として存在している。

地勢[編集]

岡山市の南東部に位置し、東区の約南半分を占める広大なエリアである。吉井川の最下流域であり、エリア中央を北東から南西へ同河川が貫流し、当地で海(児島湾)へ至る。また、南東部は瀬戸内海に接し、南沖合にある犬島諸島も当地内である[4]

東には瀬戸内市邑久牛窓)、南は児島湾を隔てて同市南区小串・甲浦、西は百間川を隔てて同市中区富山・財田、北は同区の上道にそれぞれ隣接する[5]

吉井川西岸(旧上道郡域)では、中心市街地西北に備前富士の愛称で親しまれている独立丘陵の芥子山(標高232.8m)があり、この丘陵の北麓も当地内である(古都)。丘陵麓から海浜部まで広がる広大な平野部が広がるが、これは近世における干拓平野である松崎新田・金岡新田・上道沖新田から成り立っている。この平野と吉井川・旭川をそれぞれむすぶ水路として倉安川が東西に流れている。また、北東部から南西へ砂川[要曖昧さ回避]が流れ百間川へ合流しており、古くから広大な農地の灌漑用水としての役目を果たしている[5]

吉井川東岸(旧邑久郡域)は、邑久山塊西端にあたる大雄山高雄山などがある丘陵が中央にあり、その南北に平地が広がる。山の北側は一大穀倉地帯である千町平野の南部にあたり、千町川や大用水(坂根用水)が灌漑用水として流れている。山の南側は山南と呼ばれ、東側を南北に丘陵地が延び、西側を南北に流れる吉井川との間に広大な平野が広がる。この平野部は近世の干拓地であり、幸島新田などからなる。これら干拓平野の中央部を南北に千町川の派川が流れている[5]

河川
  • 吉井川
  • 砂川
  • 倉安川
  • 秋芳川
  • 庄内川
  • 百間川
  • 千町川
  • 千町川派川(神崎川・千曲川)
山岳
  • 芥子山 - 備前富士
  • 雨乞山
  • 高雄山
  • 硫黄山
  • 報恩山
  • 山の神山
  • 赤石山
島嶼
  • 犬島諸島
    • 犬島本島
    • 犬ノ島
    • 沖鼓島
    • 地竹ノ子島
    • 沖竹ノ子島
    • 白石島

歴史[編集]

古代・中世[編集]

古代においては、吉井川西岸は備前国上道郡可知郷や居都郷、東岸は同国邑久郡長沼郷や邑久郷などが当地にあったと推定されている[5]

その後荘園が勢力を増すと、当地には金岡庄と呼ばれる広大な荘園が生まれた。金岡庄は西庄と東庄の東西に分かれていた。現在の金陵山西大寺(観音院)や金岡辺りは東庄に属しており、『観音院文書』には「金岡東庄」の記述が見られる。金陵山西大寺は、古くは犀載寺とも表記され、その創建は古く天平勝宝3年といわれる。延慶4年の大般若経(西大寺観音院所蔵)の奥書に「備前西大寺」とあり、これが書物等における初見となる[5]

金岡庄は元は藤原氏と大和興福寺の所領であったが、南北朝時代には大和額安寺の所領となった[6]。元亨3年、額安寺と土地の地頭が金岡庄を検分し、それを記録したとされる西大寺観音院境内絵図によれば、境内に市場があり、酒屋・魚屋・餅屋・筵屋・鋳物師などの商人が店を開き繁栄していた。また室町時代前期の永享12年の『西大寺古縁起』には金岡浦とあり、吉井川河口の港町として現在の金岡地区周辺が栄えていた[5]

戦国時代[編集]

戦国時代になると西大寺観音院を中心に周囲に家や店が増え、門前町が形成され、西大寺村として繁栄、有力商人が多数活躍した。宇喜多秀家岡山城を築城すると、城下町整備のため西大寺門前町の有力商人が多く岡山へ招かれ移住した。現在も城下町を起源に持つ岡山市表町には、西大寺門前からの移住者に由来する西大寺町や新西大寺町などの字が残っている[5]

江戸時代[編集]

経済[編集]

その後も西大寺門前町の商業は発展し、江戸時代になると寛永19年に岡山藩は西大寺村の商人が酒造業を営むことなどを公認、また中期には町奉行が「西大寺は下津井とともに港町として栄えているので、おかげで岡山城下町の繁栄が脅かされている」と嘆いていることが伝えられている(市政提要)。西大寺村南隣の金岡村も、吉井川の高瀬舟および瀬戸内航路の船が集う港町、物資の集積港として、さらには牛窓往来の渡し場として繁栄した[5]

干拓[編集]

江戸時代には干拓による新田開発で当地の面積は大きく広がるが、最初の干拓は奈良時代に遡る。奈良の大安寺が主導し、大多羅の地先の葦原を開墾し50町歩の新田を造成したといわれる。しかし、この後は江戸時代まで大きな新田開発はなかった[5]

江戸時代前期、寛文3年に岡山藩主・池田光政および綱政が松崎新田107町歩を干拓。さらに同5年から、大阪の豪商の鴻池屋仁兵衛・金屋次兵衛・三次三折の三人が岡山藩の許可を得て金岡新田の干拓に取りかかり、132町歩の新田が造成された。のちに岡山藩が買い取り、領民を入植させた。元禄5年には大規模な沖新田(上道沖新田)1539町歩が干拓された。普請の際、一番から九番まで受け持ち区域を設定したことから、新田完成後にこの区域番号が事実上の村名として扱われた。沖新田の中で当地にあたるのは百間川以東の五~七番と外七番および九番である。現在、当地にある大字の九蟠は、その名残(九番)である[5]。干拓による陸地の南下と回船の大型化を受け、新田南部で吉井川河口にあたる九蟠に新たに九蟠港を設け、西大寺・金岡の外港として機能した[6]

吉井川東岸部でも干拓が行われ、寛永初年、岡山藩主・池田忠雄は、藩士を動員して神崎村内に神崎崎新堀を掘削し千町川の水を児島湾に分流(千曲川・神崎川)させ、さらに藩主が綱政の時代になると、津田永忠が乙子村から小羽島・中羽島・大羽島・外渡島・西幸島・東幸島の各島々を経て掛座まで、海面に堤を築いて河口両側に新田561町歩を造成し、干拓を完成させた。新田中央部を南北に千町川分流が貫流する形となり、河口には石の樋門が築かれ、内側に遊水池が設けられた。島の名前(西幸島・東幸島)にちなみ、幸島新田と名付けられた。最初は幸島西新田村・同中新田・同東新田村と分けられていたが、貞享4年、西新田は幸西村、中新田は幸田村、東新田は幸崎村と改称した。さらに元禄4年には、幸田が南北に、幸西・幸崎は東西にそれぞれ分割された[7][5]

これら新田一帯では、米・麦中心の農業地帯となり、これに加えてイグサや綿花の栽培も盛んとり、有数の産地となった。『備陽記』にはこれに加えて、射越村ではナスやマクワウリ、西大寺村ではナスや青ウリ、沖新田では唐スイカなどの特産品が記載されている。また久保村の吉井川鴨越井堰下流ではマスがよく獲れたとされる[5]

牛窓往来[編集]

江戸時代、当地内にも特に人通りの多かったのが牛窓往来であった。同街道は、岡山城下町から上道郡平井・湊村を経て倉安川沿いに東に向かい、百間川を越えて中川・松崎・西大寺各村を通り抜け、金岡村から吉井川を渡り、対岸の邑久郡新村からは南東に向かい、邑久郡乙子・神崎・千手と抜け、峠を越え、鹿忍を経て牛窓港へ至った。現在の西大寺地域を横断する形となっている。牛窓港は朝鮮通信使一行の休息・宿泊の地であり、使節団の応援にあたるため岡山藩士の往来も多く、周辺には西大寺村や金岡村の他にも在郷町が発達して沿線は賑わいを見せた[5]

近代[編集]

経済[編集]

明治29年に地元資本により西大寺紡績(後の鐘紡西大寺工場)が設立されて以降、山陽板紙、西大寺製紙、西大寺織物などの多くの企業が相次いで設立された[5]

山陽板紙は観音院の上手で稲藁を原料として操業し、昭和19年に大蔵省印刷局が同所を買い取り進出している(現在は撤退)。また同年には吉井川東岸河口部にあたる西幸西で、帝国化工岡山工場、同33年には金岡東町に日本エクスラン工業西大寺工場などがそれぞれ操業し、いずれも用水型工業である[8]。 また、後の時代には九蟠地区や豊地区に企業団地が形成された。

明治期の西大寺一帯の主な営業種は、米穀・乾物・青果・肥料・陶器・足袋など。商業資本の中から大正元年に、呉服・売薬業の伊原木茂兵衛が岡山へ進出、後の天満屋百貨店へと発展する[8]

交通網の整備[編集]

明治12年に上道・邑久両郡を結ぶ永安橋が、吉井川の観音院に近い地点に架けられ、交通の便が向上する。永安橋は洪水の度に流失したが、昭和6年に鉄橋に架け替えられた。それからは流失や損壊はなく、昭和61年にさらに近代的なものに新設された。なお、橋の名は一説では、橋の渡り初め式に出席した岡山県令の高崎五六が「橋の永いのに渡し賃は安い」と言ったことに由来するとされる[5]

交通網整備の内、鉄道の建設は他地区に比べて遅れた。山陽鉄道が西大寺村周辺を通過するのは、当時海運業も盛んであった西大寺や金岡の住民の多くが海運の衰退を招くとして反対、さらに明治22年に大凶作が発生し経済不況となり、実現に至らなかった。その後、山陽鉄道は芥子山北部を通過し建設された(後の市町村合併により、山陽鉄道・山陽本線は当地内北部を通過することになる)。同29年に岡山市鹿田町から西大寺を経て牛窓を結ぶ備前鉄道、および同30年頃に西大寺と山陽鉄道瀬戸駅を結ぶ西大寺鉄道がそれぞれ計画され、住民の鉄道への関心がようやく高まってくる。結局、両鉄道建設計画は実現しなかったが、同44年に岡山市長岡にあった山陽鉄道西大寺駅(のちの東岡山駅)から西大寺に至る西大寺軌道が敷設された。翌年には長岡から岡山市森下まで、大正4年には森下から後楽園口(浜)まで延伸され、待望の岡山市街地から西大寺市街地までの鉄道網が完成となった。しかし、戦後にバス路線の整備や、日本国有鉄道による赤穂線の計画が進展したことから昭和37年に西大寺鉄道線は廃止となり、同鉄道の西大寺駅はバスセンターとなった。バスセンター周辺には後に大型スーパーなどが立地し、市街地の郊外化によりこの周辺が地域の中心地となっていった。さらに、国鉄(JR)赤穂線、国道2号線バイパス、東備ブルーハイウェイ(岡山ブルーライン)、新永安橋、その他一般道路の造成や区画整理など交通網が徐々に整備されていった[5]

西大寺市新設と岡山市への編入合併以後[編集]

明治以降、行政の変遷により合併が幾度か行われ、昭和の戦後には当地は上道郡西大寺町・古都・可知・光政・津田・九蟠・金田・雄神の各村と邑久郡豊・幸島・太伯・朝日・大宮の各村と邑久町長沼の合計14町村に分かれていた。昭和28年2月、14町村の内の西大寺町と古都・可知・光政・津田・九蟠・金田・豊・幸島・太伯各村と邑久町の内の長沼(東谷地区のぞく)の11町村が合併し、西大寺市を新設、かつての西大寺村域に市役所を構えた。翌年には邑久郡大宮村宿毛の内の一部(幸地崎町)が西大寺市へ編入し、続く同30年に上道郡雄神村・邑久郡朝日村の2ヶ村が編入、さらに同31年には邑久郡大宮村(千手地区の一部は牛窓町へ編入)が編入合併し、現在の西大寺エリアが確定した[5]

西大寺市は地域の振興政策に積極的に取り組んだが、岡山県南百万都市構想を経て、活路を岡山市との合併に求めることとなり、昭和44年2月18日に岡山市への西大寺市の編入合併が成立、16年間の市政にピリオドを打った。西大寺市の市庁舎は西大寺支所となり、旧市域を管轄した[5]

なお岡山市へ編入後、住所表記上、大字に西大寺の旧市名を冠していたが、昭和47年7月20日の住所地番変更により旧西大寺村域を中心とした地域および他地域に同名・類似の地名がある地域にのみ西大寺の名を大字に冠し、それ以外の地域には西大寺の名は外された[8]

岡山市政令指定都市・行政区設置[編集]

平成21年4月1日には、岡山市が政令指定都市へ移行し行政区が置かれ、当地は東区の管轄となった。

東部新拠点(カネボウ西大寺工場跡地)[編集]

1993年に西大寺南のカネボウ西大寺工場が閉鎖したが、1995年に岡山市土地開発公社が取得。しかし用途が決まらず長期にわたり利用されないままであった。2010年3月に岡山市が買い取った[9]。面積は約8.2ヘクタール[10]約56億円で購入。[要出典]

2009年に岡山県で開かれた全国都市緑化フェアのメイン会場となることが決定し、整備が行われた[11]市民に向けた跡地公園の一般開放は終了した。[要出典]

全国都市緑化フェア後、南側が西大寺緑花公園、体験学習施設百花プラザとなり、2010年4月にリニューアルオープンした[12][13][14][15]。 北部エリアは民間活用、北東エリアは公共公益施設予定地とされた[16]

2010年4月、緑化公園内に図書館(西大寺緑花公園緑の図書室)がオープンした[17](向洲の西大寺図書館は閉鎖)。

2011年2月14日、岡山市は北東エリアに岡山市東区役所、東消防署などを移転させる方針を明らかにし[18]、2014年11月25日に移転開設した[3]

2011年10月、三菱地所は、当地を賃借し同年11月9日に商業施設「西大寺グリーンテラス」を開業するとし、家電量販店(ケーズデンキ)・ホームセンター(コーナン商事)・スポーツ用品店(モミジヤ)など計7店舗が12月までに順次オープンさせた。約25800平方メートルを賃借し、2階建ての施設を建設、店舗面積は約13000平方メートル、駐車場は約590台分。三菱地所は、同年3月に市と借地契約を締結、2033年までの契約で、借地料は約15億円で、それ以外の事業費は約20億円。年間35億円の売上高を見込んでいる[9]

西大寺会陽の際には臨時の駐車場になることもあった。 また、市の購入前、跡地には岡山県立大学を建設する予定だったが、実際は総社市に設立された。[要出典]

沿革[編集]

年月日   出来事
1879年(明治12年) 交通 永安橋(初代)が完成。
1911年(明治44年)12月29日 交通 西大寺鉄道開通。(全線開通は1915年9月15日)
1932年(昭和7年) 交通 永安橋(2代)が完成。
1953年(昭和28年)2月1日 行政 上道郡西大寺町、古都村、可知村、光政村、津田村、九蟠村、金田村、
邑久郡豊村、太伯村、幸島村、邑久町長沼地区が合併(新設合併)し、西大寺市となる。
1954年(昭和29年)10月1日 行政 邑久郡大宮村大字宿毛の南部区域(幸地崎町)が西大寺市へ編入合併される。
1955年(昭和30年)4月1日 行政 邑久郡朝日村、上道郡雄神村が西大寺市へ編入合併される。
1956年(昭和31年)2月20日 行政 邑久郡大宮村が西大寺市へ編入合併される。
1962年(昭和37年)9月1日 交通 赤穂線が開通。
1962年(昭和37年)9月7日 交通 赤穂線開通に伴い、西大寺鉄道廃止。
1962年(昭和37年) 行事 第17回岡山国体(秋季大会)。西大寺市内では、
卓球(西大寺中学校体育館)とソフトボール(西大寺市営球場)競技が行われた。
1963年(昭和38年) 交通 国道2号(現在の国道250号)が開通。
1969年(昭和44年)2月18日 行政 西大寺市が岡山市へ編入合併された。
1974年(昭和49年)11月30日 交通 岡山ブルーハイウェイ(現在の岡山ブルーライン)の君津~西大寺IC間が開通。
1977年(昭和52年)7月1日 交通 岡山ブルーハイウェイが全線開通。(2004年4月1日に無料化)
1978年(昭和53年) 交通 岡山バイパス(君津以西)が開通。
1986年(昭和61年) 交通 現在の永安橋(3代、新永安橋とも)が完成。旧橋は廃止となった。
1999年(平成11年)3月24日 交通 岡山バイパスが全線開通。
2005年(平成17年)9・10月 行事 第60回晴れの国おかやま国体(夏季・秋季大会)。西大寺地域内では、
サッカー(神崎山公園競技場)とバスケットボール(六番川水の公園体育館)競技が行われる。
2009年(平成21年)3~5月 行事 第26回全国都市緑化おかやまフェアが開催され、西大寺地区がメイン会場となる。
2009年(平成21年)4月1日 行政 岡山市が政令指定都市に移行し、西大寺地区の行政区は東区となり、
西大寺支所は東区役所となった。

地域[編集]

当地は以下の、地域区分に細分化される。以下は、コミュニティ協議会区域・コミュニティハウス設置区域・連合町内会区域であり、ほぼ学区(小学校)と一致する。

  • 西大寺 - いわゆる「狭義の西大寺」
  • 西大寺南(金岡)
  • 雄神
  • 芥子山
  • 可知
  • 古都
  • 政田
    • 光政
    • 津田
  • 開成
    • 金田(金岡新田)
    • 九蟠
  • 太伯
  • 大宮
  • 幸島
  • 朝日
    • 犬島

経済・産業[編集]

主要特産物
  • 果物:あたご梨、ヤーリー、いちご、ぶどう
  • 水産・畜産物:黄しじみ、白魚、ひらめ、のり、牛乳
  • その他:会陽みそ、笹の葉せんべい、西大寺ワイン、張り子の虎

文化[編集]

西大寺地区には西大寺観音院を筆頭に文化財が多い。

東部の硫黄山の一角の築山には6~7世紀の横穴式古墳群がある。山の南側にあたる大宮地区には備前国一宮であった安仁神社が鎮座。境内付近からは銅鐸も出土している。硫黄山の尾根続きである堂山には報恩大師開基と伝えられる千手山弘法寺がある。邑久郷地区の納岡には宇喜多家の菩提寺と伝えられる紅岸寺(向岸寺)があり、乙子地区には、戦国時代に児島湾に面して築かれた宇喜多直家所縁の乙子城(音湖城)址がある。西部の芥子山の西山中には岡山藩主・池田綱政による創建とされる大多羅寄宮跡がある[5]

民俗行事としては、全国的に知られる西大寺観音院の会陽・裸祭が代表的であり、当地の代名詞的なイベントとして古い時代から現在まで続けられている。毎年会陽の時期には、見物客が全国から数万人が訪れ、西大寺の街が一年でもっとも賑わう[5]

観光・行事[編集]

西大寺(観音院)

観光地・名所・旧跡[編集]

行事[編集]

  • さいだいじ冬フェスティバル(2月~3月初旬)
  • 西大寺会陽(えよう)、会陽冬花火(2月第3土曜日)
  • わっしょいカーニバル西大寺(4月下旬)
  • 夏まつり西大寺
  • 西大寺朝市(毎月第3日曜日、ただし2月と8月は第2日曜日)

主要施設[編集]

教育[編集]

専門学校・高等学校
小・中学校

官公庁[編集]

金融[編集]

  • 中国銀行:西大寺支店、西大寺支店神崎出張所、松崎支店
  • トマト銀行:西大寺支店
  • おかやま信用金庫:西大寺支店、松新町支店
    • (補足)以前あった西大寺信用金庫は、岡山市民信用金庫に統合。その後岡山市民信用金庫は、おかやま信用金庫に統合。

小売店[編集]

卸売等[編集]

飲食店[編集]

風営店[編集]

  • マルハチ西大寺店
  • ジャンボ西大寺店

生活[編集]

電話・郵便[編集]

  • 電話:(086)94xから始まる。例外として、古都小学校区全域と中川町の一部は(086)2xx,80x,89x,90xから始まる。
    • 以前は岡山市でありながら、岡山市の他地域とは別の市外局番だったが、1992年(平成4年)10月10日、西大寺地域を(086)297、940~949に変更し、岡山MAに編入させ、瀬戸内市域は邑久MA((0869)2x、34)に名称変更してこの問題は解消された。
      • 変更前の市外・市内局番は、西大寺地域が08694-2~9、上道地域(一部例外あり)が086928(後に0862-97へ変更)、牛窓町(現・瀬戸内市)が086934、邑久町(同)が08692-2~5,7,9、長船町(同)が086926、その他の岡山市が0862-20~96,98,99。
      • 変更前は旧牛窓町、旧邑久町、旧長船町(いずれも現在は瀬戸内市)とは同じ西大寺MAであったため市内通話扱いであった。
  • 郵便:西大寺局に属し、郵便番号は704-81xx(事業所の個別番号は704-85xx,704-86xx,704-87xx)。例外として、古都小学校区は703-82xx(事業所の個別番号は703-85xx,703-86xx,703-87xx)(岡山東局)。

放送[編集]

地上波テレビ放送は岡山市と同様だが、ケーブルテレビである岡山ネットワーク(愛称oniビジョン)は視聴できない。(百間川以西の中川町のみ視聴可能)

テレビ局
AMラジオ局
FMラジオ局

交通[編集]

鉄道[編集]

※かつては岡山市内まで西大寺鉄道が通じていたが、赤穂線に置き換わる形で1962年に廃止になった

路線バス[編集]

道路[編集]

出身・ゆかりの著名人[編集]

ゆかりの著名人

西大寺で撮影された作品[編集]

西大寺市[編集]

さいだいじし
西大寺市
西大寺市章
廃止日 1969年2月18日
廃止理由 編入合併
西大寺市 → 岡山市
現在の自治体 岡山市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 中国地方山陽地方
中国・四国地方
都道府県 岡山県
団体コード 33206-3
面積 90.11km².
総人口 48,500
(1969年)
隣接自治体 岡山市、牛窓町邑久町長船町上道町瀬戸町
児島湾瀬戸内海を隔て
香川県土庄町
西大寺市役所
所在地 岡山県西大寺市
旧・東区役所(元・西大寺市役所)
座標 北緯34度39分30.28秒
東経134度2分10.86秒
特記事項 市役所は西大寺支所として、2009年4月から2014年11月までは東区役所として使用された
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歴代市長[編集]

  • 初代 - 家野猛之(昭和28年2月20日~同32年2月20日)[19]
  • 2代 - 伍賀厚(昭和32年2月20日~同44年2月17日)[19]

歴代市議会議長[編集]

  • 初代 - 歳森金三郎(昭和28年3月9日~同34年2月15日)[19]
  • 2代 - 岡崎鷹次(昭和34年2月16日~同年6月21日)[19]
  • 3代 - 河本和正(昭和34年6月22日~同40年2月22日)[19]
  • 4代 - 岡崎鉄男(昭和40年2月16日~同44年2月17日)[19]

脚注[編集]

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  1. ^ 岡山城の城下町が整備された後、西大寺門前町から移住した人々が住んでいた事に由来する古い地名である。
  2. ^ 谷淵陽一『岡山市の地名由来』吉備人出版
  3. ^ a b 東区役所等が移転開設しました(岡山市)
  4. ^ a b c d 下中直也『日本地名大系第三四巻 岡山県の地名』平凡社(1988年)
  5. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v 岡山市地名研究会著『岡山市の地名』岡山市(1989年)
  6. ^ a b 巌津政右衛門 『岡山地名事典』日本文教出版社(1974年)
  7. ^ 現在は、南幸田は水門町、西幸崎は南水門町と名乗っている。
  8. ^ a b c 岡山県大百科事典編集委員会編集『岡山県大百科事典』山陽新聞社(1979年)
  9. ^ a b 中国新聞 2011年10月12日
  10. ^ 西大寺「元気な新拠点」整備事業実施方針|岡山市
  11. ^ 岡山県の取組みと第26回全国都市緑化おかやまフェアについて(PDF)
  12. ^ 公募により西大寺緑化公園、体験学習施設百花プラザと名付けられた。
  13. ^ 緑化フェア開催中、「自然の恵みガーデン」(南東エリア)・「キッズガーデン」と名付けられたゾーンが公園、「花と緑のテーマ館」が百花プラザ、「花暮らしのまち」と名付けられたゾーンの一部が駐車場となった。
  14. ^ 西大寺緑化公園|岡山市
  15. ^ 体験学習施設百花プラザ|岡山市
  16. ^ 西大寺「元気な新拠点」整備事業実施方針|岡山市
  17. ^ 西大寺緑花公園緑の図書室のご案内|岡山市
  18. ^ 山陽新聞 2011年3月11日
  19. ^ a b c d e f 岡山県歴史人物事典編纂委員会『岡山県歴史人物事典』山陽新聞社(1994年)

参考文献[編集]

  • 巌津政右衛門 『岡山地名事典』日本文教出版社(1974年)
  • 下中直也 『日本歴史地名体系三四巻 岡山県の地名』平凡社(1981年)
  • 岡山県大百科事典編集委員会編集『岡山県大百科事典』山陽新聞社(1979年)
  • 渡辺光・中野尊正・山口恵一郎・式正英『日本地名大辞典2 中国・四国』朝倉書店(1968年)
  • 岡山市地名研究会著『岡山市の地名』岡山市(1989年)
  • 岡山県歴史人物事典編纂委員会『岡山県歴史人物事典』山陽新聞社(1994年)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]