薄衣城
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薄衣城 (岩手県) | |
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別名 | 葛丸城 |
城郭構造 | 山城 |
天守構造 | なし |
築城主 | 千葉胤堅(葛西氏重臣) |
築城年 | 1253年(建長5年) |
主な城主 | 千葉氏 |
廃城年 | 1590年(天正18年) |
遺構 | 曲輪、堀、虎口 |
指定文化財 | 一関市指定史跡[1] |
位置 | 北緯38度53分28.7秒 東経141度16分03.7秒 / 北緯38.891306度 東経141.267694度座標: 北緯38度53分28.7秒 東経141度16分03.7秒 / 北緯38.891306度 東経141.267694度 |
地図 |
薄衣城(うすぎぬじょう)は、岩手県一関市川崎町(旧川崎村)薄衣(陸奥国磐井郡薄衣荘)にあった中世の日本の城。別名・葛丸城。一関市指定史跡[1]。
概要
[編集]北上川左岸に迫る標高78メートルの丘陵上に築かれた山城で、本曲輪は140メートル×60メートルを測る。本曲輪の西側に二の曲輪、南東側の尾根筋に三の曲輪・四の曲輪を配置し、虎口や堀切など中世山城の遺構を良好に残している[2]。
城に関する確実な史料は少ないが、鎌倉時代初頭、1189年(文治5年)の奥州藤原氏滅亡以後に当地に勢力を張った葛西氏の被官・薄衣千葉氏の居館であり、初代・千葉胤堅が1253年(建長5年)に築いたと伝わる。以降、1590年(天正18年)の豊臣秀吉による奥州仕置で葛西氏が没落し、千葉胤次(胤勝とも)がそれに殉じるまでの337年間、千葉氏の管轄下にあった[1]。
城跡は、1998年(平成10年)7月1日付けで旧川崎村(現・一関市)指定史跡に指定された[2]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 一関市教育委員会 2018「薄衣城址」『一関の文化財-平成29年度版-』p.104
外部リンク
[編集]- 「文化財探訪(薄衣城址)」一関市公式HP