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薄衣城

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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薄衣城
岩手県
別名 葛丸城
城郭構造 山城
天守構造 なし
築城主 千葉胤堅(葛西氏重臣)
築城年 1253年(建長5年)
主な城主 千葉氏
廃城年 1590年(天正18年)
遺構 曲輪虎口
指定文化財 一関市指定史跡[1]
位置 北緯38度53分28.7秒 東経141度16分03.7秒 / 北緯38.891306度 東経141.267694度 / 38.891306; 141.267694座標: 北緯38度53分28.7秒 東経141度16分03.7秒 / 北緯38.891306度 東経141.267694度 / 38.891306; 141.267694
地図
薄衣城の位置(岩手県内)
薄衣城
薄衣城
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薄衣城(うすぎぬじょう)は、岩手県一関市川崎町(旧川崎村)薄衣(陸奥国磐井郡薄衣荘)にあった中世日本の城。別名・葛丸城。一関市指定史跡[1]

概要

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北上川左岸に迫る標高78メートルの丘陵上に築かれた山城で、本曲輪は140メートル×60メートルを測る。本曲輪の西側に二の曲輪、南東側の尾根筋に三の曲輪・四の曲輪を配置し、虎口堀切など中世山城の遺構を良好に残している[2]

城に関する確実な史料は少ないが、鎌倉時代初頭、1189年(文治5年)の奥州藤原氏滅亡以後に当地に勢力を張った葛西氏被官・薄衣千葉氏の居館であり、初代・千葉胤堅が1253年(建長5年)に築いたと伝わる。以降、1590年(天正18年)の豊臣秀吉による奥州仕置で葛西氏が没落し、千葉胤次(胤勝とも)がそれに殉じるまでの337年間、千葉氏の管轄下にあった[1]

城跡は、1998年(平成10年)7月1日付けで旧川崎村(現・一関市)指定史跡に指定された[2]

脚注

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  1. ^ a b c 「文化財探訪(薄衣城)」一関市公式HP
  2. ^ a b 一関市教育委員会 2018 p.104

参考文献

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外部リンク

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