菊人形

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Hirakata-kikuningyo3231.JPG

菊人形(きくにんぎょう)は、の花や葉を細工して人形の衣装としたもの。菊細工の一種である[1]。及び、その興行を指す。

概要[編集]

菊人形は東京本郷・団子坂で盛んであった。明治の文学作品にも登場する
忠臣蔵の写真集に写る菊人形。討ち入りの両国橋の場面。他の場面は歌舞伎役者による。
団子坂と推定される菊人形の写真。手彩色。明治期の撮影。背景の建物を収容するほど、よしず掛けの小屋が本格的に作られているのがわかる。
菊人形の頭部分。日露戦争のロシア兵と推定されている。

菊人形は、頭や手足は人形、体を菊の花でつくられた等身大の人形である。その起源は江戸時代後期、後に世界有数の園芸センターであったことが知られる江戸の染井(ソメイヨシノを産出したことでも有名)や巣鴨の周辺で流行した菊細工に遡る事ができる。また、頭や手足は当時流行していた生人形師のうち安本亀八山本福松大柴徳次郎などが担当し、後世に実物が残る。

安政から明治年間の江戸本郷団子坂北緯35度43分31秒 東経139度45分43秒 / 北緯35.725185度 東経139.762029度 / 35.725185; 139.762029で地元の園芸業者が競うように盛んに行われ、ブランド化した。が明治42年に本所両国国技館で斬新な菊人形興行が行われ、明治末年に団子坂は興行地としては衰退する。その後全国的に見世物興行として流行し、興行主として名古屋の奥村黄花園、大阪の浅野菊楽園、乃村泰資率いる乃村工藝社が、京成電鉄京阪電鉄南海電鉄などの遊園地などを中心として全国興行を牽引する。戦前は両国国技館や大坂・新世界ルナパーク、戦後は千葉県習志野市の京成谷津遊園、近年には日本三大菊人形と呼ばれる福島県二本松市福井県越前市(旧武生市)、大阪府枚方市ひらかたパークのものが有名であった。しかしレジャーの様式の変化や、少子化による遊園地の経営状態の悪化などにより枚方市の菊人形が2005年限りで中止されるなど、近年の開催は減少傾向である。それでも二本松市や越前市のものは従来どおり開催されているほか、北見市弘前城名古屋城吉野川市など、日本各地で菊人形の伝統を保っている。菊人形の題材はその年に放送されているNHK大河ドラマが採用されることが多い。なお、枚方市の菊人形が中止になって以降、山形県南陽市で開催される菊人形が日本最古とされている。

各地の菊人形展[編集]

関連する事物[編集]

参考文献[編集]

  • 文京ふるさと歴史館『菊人形今昔―団子坂に花開いた秋の風物詩』(図録)2002年

脚注[編集]

  1. ^ 他に一本幹千輪咲など