紀男梶

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紀 男梶(き の おかじ、生没年不詳)は、奈良時代貴族。名は小楫男楫とも表記される。中納言紀麻路の子。官位従五位下和泉守

経歴[編集]

聖武朝の天平15年(743年従五位下に昇叙され、弾正弼に任官する。天平17年(745年)同族の紀広名のほか、石川名人県犬養須奈保大伴古麻呂大伴家持とともに内位の従五位下に叙せられた。天平18年(746年大宰少弐に任ぜられるが、聖武朝末の天平感宝元年(749年兵部少輔として京官に復す。

孝謙朝に入ると天平勝宝2年(750年山背守として再び地方官を務める。天平勝宝6年(754年)7月の太皇太后藤原宮子葬儀に際して、橘諸兄文室珎努紀麻路安宿王厚見王多治比木人阿倍毛人石川豊成文上麻呂らとともに御装束司を勤め、同11月には東海道巡察使に任命されている。淳仁朝の天平宝字4年(760年和泉守に任じられ、みたび地方官を務めている。

天平18年(746年)正月に降雪が多く、左大臣橘諸兄大納言藤原豊成ほか諸王諸臣たちが元正上皇の御在所(中宮の西院)で雪かきをし、それからを下して大臣参議および諸王が正殿の上に、諸卿大夫が南の細殿に祗候させて、酒宴が行われる。ここで、元正上皇の希望により、を題材として諸臣が和歌を詠むことになった。その時の男梶の応詔歌が『万葉集』に採録されている[1]

山の峡(かひ) そことも見えず 一昨日(をととひ)も 昨日(きのふ)も今日(けふ)も 雪の降れれば

官歴[編集]

続日本紀』による。

脚注[編集]

  1. ^ 『万葉集』巻第17-3924

参考文献[編集]

  • 『続日本紀 2 新日本古典文学大系 13』岩波書店、1990年
  • 『続日本紀 3 新日本古典文学大系 14』岩波書店、1992年
  • 宇治谷孟『続日本紀 (上)』講談社講談社学術文庫〉、1992年
  • 宇治谷孟『続日本紀 (中)』講談社〈講談社学術文庫〉、1992年
  • 『萬葉集 (五) 完訳日本の古典 6』小学館、1986年